50歳で、ニュージーランドのシェフ・パティシエ養成コースを修了する直前、現地で就職活動した体験記をご紹介します。まるで、自分の意思を明確にした途端、働く場所が具現化され、それに導かれたようです。「自由意志の法則」が存在するため、己が覚悟を決めれば、最も望ましい方向へ自動的に引き寄せられるものだと実感しています。

ヒーラー・シェフ兼パティシエのブログ
50歳で、ニュージーランドのシェフ・パティシエ養成コースを修了する直前、現地で就職活動した体験記をご紹介します。まるで、自分の意思を明確にした途端、働く場所が具現化され、それに導かれたようです。「自由意志の法則」が存在するため、己が覚悟を決めれば、最も望ましい方向へ自動的に引き寄せられるものだと実感しています。
48歳で、ニュージーランドのシェフ・パティシエ養成コースへ留学した経緯とその体験記をご紹介します。シェフやパティシエは10代の頃、海外留学は20代の頃、それぞれに憧れつつも、「自分には無理」と別の道を選んだはずでした。しかし、回り回って、道が続いていました。しかも、シェフ・パティシエで留学することは、全く想定外でした。
“True-Story:シェフ・パティシエ留学体験記@ニュージーランド” の続きを読む最近の出来事を通して、「あり得ない!」は内在する大いなる存在の意思だと実感し、自分の身体への感謝が足らなかったと痛感した体験をご紹介します。
かつての自分だったら、「あり得ない!」と憤慨していたでしょうね。日本を離れて暮らすようになって、その機会は増え続け、多少のことでは動揺しなくなっていたのでしたが・・・。
“True-Story:「あり得ない!」は内在する大いなる存在の意思だと実感した体験談” の続きを読む今回は、10年前に書いた英語エッセー「Why I enrolled on a cookery & patisserie course now.(なぜ、今、シェフ・パティシエ養成コースに入学したのか)」をご紹介します。
当時、暮らしていたオーストラリアから、ニュージーランドでシェフ・パティシエとなるための海外留学で、ビザ申請が大変だった体験をご紹介します。最後は、ニュージーランド移民局(シドニー支部)へ、Complain letter(苦情文)まで送りました。
“True-Story:予想外に難航したシェフ・パティシエ海外留学のビザ申請” の続きを読む今回は、IELTS(アイエルツ)のScore(スコア)がアップした実体験をご紹介します。実質1年間で、Overall Score(オーバーオール・スコア)は「4.0」から「5.5」に、特段、Writing(ライティング)は「3.0」から「5.5」に上がりました。
誰でも訓練さえすれば、ある程度まではアップするものだと実感しました。ちなみに、学生時代の英語の成績は、あまり良くありませんでした。
“True-Story:アイエルツのスコアがアップした実体験” の続きを読む今回は、⼤いなる存在に守られていると思わざるを得ない経験(3回シリーズ)の最終回として、長距離バスの衝突事故で、無傷ながらも、霊体からの影響を受け、最終的に大いなる存在に守られていると痛感した実体験をご紹介します。
通常、霊的な影響は肉眼では見えませんから、信じない方も少なくないでしょうね。しかし、自己体験を通じて、エネルギー(氣)は見えないからこそ、気をつけなければならないことを学びました。
“True-Story:大いなる存在に守られている? – その3 – 霊体が???” の続きを読む今回は、⼤いなる存在に守られていると思わざるを得ない経験(3回シリーズ)の2回目として、宿泊施設の予約の日付を間違えたにも拘わらず、結果的にラッキーだった体験をご紹介します。
以前にご紹介したフライト予約時の誤入力もあるので、家内の私に対する信頼度は、更に低下したことは否めませんが、気にしない、気にしない・・・。なぜなら、自愛(ありのままの自分も許し、認め、愛する)という約束がありますから。
“True-Story:大いなる存在に守られている? – その2 – 宿の予約がない?” の続きを読む今回は、⼤いなる存在に守られていると思わざるを得ない経験を3回シリーズでご紹介します。その1回目は、バスの前方乗車口が変形するほどの交通事故でほぼ無傷(かすり傷と青あざのみ)だった驚愕体験です。今世の人生で交通事故に遭うのは初めてだったので、とても衝撃的体験でした。
“True-Story:大いなる存在に守られている? – その1 – 交通事故でほぼ無傷!” の続きを読む今回は、ネットでフライトを予約した際の誤入力で巻き起こった一連の出来事のその3として、返金用の銀行小切手が届くまでの大変談をご紹介します。この時は、途中で短気を起こすこと(神聖な存在の守りから「外れる」)もなく、最後まで忍耐を貫き通せました。当時は、まだ、このような「発想」を持ち合わせていない頃でした。