
48歳で、ニュージーランドのシェフ・パティシエ養成コースへ留学した経緯とその体験記をご紹介します。シェフやパティシエは10代の頃、海外留学は20代の頃、それぞれに憧れつつも、「自分には無理」と別の道を選んだはずでした。しかし、回り回って、道が続いていました。しかも、シェフ・パティシエで留学することは、全く想定外でした。
永住権を申請するためには、シェフとして働く必要がありました。しかし、シェフだけでなく、パティシエの勉強ができることは、当時の私のモチベーションを高めてくれました。なぜなら、料理よりも製パン・製菓の方が好きだったからです。
シェフ・パティシエ養成コースを修了後、オークランドのカフェ激戦区といわれるポンソンビーにあるカフェで、資格のあるシェフ・パティシエとして実務経験を積むことになります。
シェフとパティシエの両方の仕事に携われるカフェは、当時の自分にとって、最適な職場でした。自分の中で、具体的にやりたい仕事が明確になったら、それに相応しい職場が用意されていました。これについては、「シェフ・パティシエ就労体験記」として、別の機会にご紹介したいと思います。
シェフ・パティシエ留学を決意した経緯
ニュージーランドのシェフ・パティシエ養成コースへの留学を決意したのは、「永住権を取得するため」でしたが、「本格的に料理・製菓・製パンを習得すること」と「海外留学すること」は、若かりし頃の夢でもありました。
この経緯の詳細は、以下の参考ブログをご参照ください。
- 参考ブログ「Essay:Why I enrolled on a cookery & patisserie course now(和訳付)」
- 参考ブログ:True-Story:予想外に難航したシェフ・パティシエ海外留学のビザ申請
- 参考ブログ:True-Story:私に多大な影響を与えたMaterChef Australia
永住権を取得するため
オーストラリアの永住権を取得する道が閉じようとしていた時、偶然にも、ニュージーランドならシェフになって永住権を取得できることを知りました。この経緯の詳細は、以下のブログ記事をご参照ください。
その数年前なら、オーストラリアでスクバーダイビングインストラクターとして永住権を取得できたかもしれません。しかし、当時、⾼江洲薫先⽣から、今世の我々夫婦にとっては、各々がバラバラにやるのではなく、協力して行うことに意義があると助言されていました。その理由は、以下のブログ記事をご参照ください。
当時、ニュージーランドのシェフ・パティシエ養成コース(2年間)を修了すれば、1年間、就職活動のための就労ビザが取得でました。その間、スポンサーになってくれる職場を探せば、就労ビザが申請できて、職歴を積めば、自分が単独で永住権を申請することも可能だと分かりました。
あれから10年が経ちましたが、現在、シェフとパティシエの両方を学ぶコースは廃止され、永住権を取得できるのは高給取りのシェフだけとなっています。何事にも、「時」があるものだと実感しています。
もし、10代か20代の頃、フランスでシェフ・パティシエ留学していたら今頃は、熟練シェフかパティシエになっていたかもしれません。しかし、その場合、近くで暮らしながらも家内と出会うことはなく、⾼江洲薫先⽣からヒーリングや真理を教わることもなかったでしょう。
そして、己の未熟さにも気づかず、己の価値観を周りに押しつけ、父親を毛嫌いし、今世、日本人男性として生まれたことを後悔し、とても傲慢な「偽物」の人生をあまんじていたかもしれません。
本格的に料理&製パン・製菓を学ぶため
主目的は、ニュージーランドの永住権取得でしたが、シェフとパティシエは、10代の頃、憧れつつも、「自分には無理」と封印した職業でもありました。特に、本気でパティシエになろうと思った時期もありました。
偶然か、必然か、定かではありませんが、料理だけでなく、製パン・製菓についてもプロの知識と実技を習得できるコースだったことは、私のモチベーションを高めてくれました。
オーストラリアでは、家内だけでなく、ゲストの方々へ食べ物を作る機会に恵まれました。自分が作ったものを美味しそうに食べる姿を見ながら、自分自身が喜び満たされることに気づきます。そして、10代の頃、「自分には向いていない」と決めつけて、別の道を選んだことを思い出していました。
海外留学の夢を叶えるため
以下のブログ記事でご紹介したように、25歳の時、ワーキングホリデービザでオーストラリアへ長期滞在しました。当時、オーストラリアへ修士留学する夢がありました。
日本へ帰国後、働きながら、夜間の英語学校へ通ったり、通信教育を受講したりして、留学に必要な英語力の向上を目指していました。しかし、思うように英語力は高まらず、徐々に修士留学の夢は遠のいていきました。
長年勤めた会社を辞め、スクーバダイビングのインストラクターとなって、家内と出会いました。まだ、家内と付き合う前でしたが、彼女がオーストラリアへ看護留学すると知り、羨ましい思いでした。
その後、ひょんなことから、付き合い始め、結婚してからは、自分が果たせなかった夢を家内に託すような心境でした。そのため、彼女の卒業式には、自分のことのように嬉しくて涙が溢れたのだと思います。その詳細は、以下のブログ記事をご覧下さい。
シェフ・パティシエ留学の概要
シェフ・パティシエ養成コースは、「レベル5(ディプロマ:Diploma)」という大学1年目修了レベルでした。そのため、料理及び製パン・製菓に関する理論と実技だけでなく、食品衛生や栄養学の知識の他、メニューデザインやキッチンデザイン、4つの研究課題がありました。
実は、これは、全くの想定外でした。主な単位一覧などは以下の本サイトをご参照ください。
「大学1年目修了レベル」と言えども、決して、容易ではありませんでした。家内は、大学4年目に編入して卒業し、その後、修士課程を修了しましたから、いかにハードな状況だったのかを知るためにも、今世の自分にとっては、必要な体験でした。
何事も、肉体で体験しなければ、魂でその時の気持ちを理解することはできないそうですが、本当にその通りだと実感しました。家内の頑張りがあったからこそ、自分の夢が次々と叶いました。今の自分があるのは、全て家内のお陰と感謝しています。
料理及び製パン・製菓に関する理論と実技
隔週で理論と実技の授業がありました。1 年目は半日が5日間、2年目は全日が2日間で半日が1日でした。毎週のように、筆記試験や実技の判定試験があり、精神的にも、肉体的には、予想以上にハードでした。
筆記試験は、翌日だけでなく、講義の後に行われることもあり、ほとんどが記述式で、当然英語、時にはフランス語もあり、元々、暗記は得意でないので、もう必死で覚えました。徹夜したこともありました。
実技の判定試験は、事前に作業計画を提出しなければ受験できませんでした。しかも、制限時間内に、複数の品を作らなければならないので、毎回、表計算ソフトを使って、分量や手順を落とし込み、効率の良い作業手順を工夫しました。このお陰で、マルチタスクを身体で覚えることができました。
食の倫理
本サイトの「食の倫理とは」でご紹介しているように、毎回のように、食の倫理として、1.生産労働者環境、2.生育環境、3.地球環境への配慮について学びました。食のプロとして知っておくべき知識なのだと思いました。
- 参考本サイト「食の倫理とは」
仏教用語に身土不二(しんどふに)及び一物全体(いちぶつぜんたい)がありますが、それと同様の内容を学習しました。丸ごとの旬の地場産食材を使うことは、安くて新鮮で栄養価も高く、地域経済にも貢献出来るのですね。
メニューデザインを学びましたが、メニューがないレストランがあることも学びました。逆に、通年で同じメニューを維持することは、「旬の地場産食材は身体・財布・地球環境に優しい」に相反することになることを知りました。
料理
料理では、丸ごとの魚や鶏を捌いたり、手ごね生パスタを作ったりできるようになって、嬉しかったです。主夫時代は、市販のサラダドレッシングやマヨネーズを買っていましたが、習ってからは、必要な分だけ自作するようになりました。
- 参考ブログ「Term:mis en place(ミザンプラス)+How-To:おひとりさま自炊の野菜利用術」
- 参考ブログ「How-To:料理の基本3スキル – Sweat & Deglaze, Simmer」
- 参考ブログ「How-To:簡単サラダドレッシング / 一人暮らしに最適」
- 参考ブログ「How-To:簡単手作りマヨネーズ / ブレンダー不要」
パン・ケーキ
パンやケーキが膨らむ原理、個々の材料の役割など、製パン・製菓の基本を学び、10代の頃、なぜパンがうまく焼き上がらなかったのか、その原因が分かりました。レシピは、材料の配分と手順が記載されているだけで、基本を知らなかったのですね。全てには「時」があるそうですが、約30年の年月を経て仕上がった柔らかいパンの味は、特段に感慨深いものがありました。
デザート
デザートでは、「Anglaise」という薄めのカスタードクリームのようなソースと「Coulis」という薄めのジャムのようなソースを使って、模様をデザインするのも楽しかったです。両方とも、濃すぎても薄すぎても、きれいな模様に仕上がらないので、奥が深いですが、これでまた1つ、見た目も楽しめるデザートを仕上げるきっかけになりました。
メニューデザイン(業務用献立表の計画)

共同研究では、カフェのメニュー、個人研究では、イタリアンレストランとアジア風ビストロのメニューデザインをしました。細かい作業がいろいろあり、簡単ではありませんでしたが、とても面白かったです。
具体的に出店する場所を想定し、国勢調査の統計データから、商圏内の居住者像(年齢、家族構成、人種、所得 等)を分析したり、実査で競合店のメニュー構成や価格帯を分析したりしました。
これらに基づき、業態を決定し、店の名前を決め、メニューやレシピを考え、納入業者の価格表から食材費を積み上げ、それぞれの販売価格を設定しました。最後に、店に出す献立表のレイアウトを決めます。
日本で暮らしていた頃は、統計データの処理や実地調査を行い、調査報告書をまとめたり、パンフレット原稿を作成したりする技術者として、長年働いていたため、手慣れた作業ばかりでした。このような形で役立つとは、夢にも思いませんでした。
キッチンデザイン(業務用厨房の計画)

イタリアンレストラン用の厨房を計画しました。営業時間や提供するメニュー構成、厨房スタッフなどのコンセプトを設定し、食材の搬入から商品提供までの動線計画を立てて、具体的な配置図を作成しました。
学生時代、建築を学び、建築図面を描くのが大好きだったので(当時は、アナログ図面でしたが)、とても面白かったです。メニューデザインと同様に、このような形で役立つとは、夢にも思いませんでした。
接客サービス産業における研究課題
各々が異なった研究テーマにそって、参考文献を探し、要約と言い換えをしながら報告書をまとめ、その成果を発表する形でした。どれもとても興味深かったのですが、いつも時間に追われ、やっても、やっても終わらない感じでした(しかも、当然、読む文献も英語、書く文章も英語です・・・)。
徐々に要求事項が厳しくなり、最後の報告書は40頁を超えました。約10日間程度で1つの課題を仕上げなければならないので、楽ではありませんでした。もう少し時間的余裕があればと思いますが、現場で働くシェフ・パティシエ養成コースですから、当然、時間管理も要求されるのだと思いました。コスト意識に時間管理は不可欠ですからね。
料理用生産物:アスパラガス

料理用生産品体系:ニュージーランド グリーンシェルマッスル

栄養学又は食事療法:ウエイトウォッチャーズ(USA発祥の減量プログラム)

地域の食文化:オークランド

校内練習用レストランでのトレーニング
練習用レストランでは、デザートの担当で、「ポーチド・ペアとバブロバ(ナシの赤ワイン煮と焼きメレンゲ)」を仕上げました。担当Chef Tutor(シェフ講師)と同級生からは「セクシー(美味しい)」と言われたのですが、レストランでの売れゆきはそれほどでもありませんでした・・・。毎日15人前を仕込んだのは、よい経験になりました。
シェフ・パティシエ留学の副産物
自己信頼度がアップ
ストレスの多い中、しかし、「自分が置かれた状況の中で最善を尽くすだけ」と開き直り、最後まで諦めずにしぶとく続けていると、不思議とクリアする経験を何度もしました。そのお陰で、以前をよりも自分に対する信頼度が増した気がします。Chef Tutor(シェフ講師)から、「自分を信じろ!そうすれば上手く行く。」と頻繁に言われました。
臨機応変の訓練
日々、臨機応変の訓練でした。筆記試験だけでなく、実技試験も事前準備が必要で、予想以上に困難でした。特に、研究課題の論文とパワーポイントを使った発表は、更に難易度が高かったです。毎晩、夜遅くまでやっても、絶対に期日まで終わりそうにないように思えて、恐怖で涙したこともありました。
フランス料理に関する知識は皆無でしたから、実習では、見たことも、食べたこともない料理や製菓を作ることが少なくなく、仕上がりを想像できなくて、戸惑うことばかりでしたが、いろいろ勉強になりました。
多様な価値観
自分より20~30歳も若い同級生達、更に、文化風習が異なれば価値観も異なります。しかし、実際の現場では、価値観が全く異なる人たちと調和して仕事することが求められます。シェフ・パティシエ養成コースの中でも、「自分さえ良ければ」のように思えてしまう同級生とも調和しなければならない状況が多々ありました。
同級生達と励まし合いながら、何とか乗り越えることができました。今から思えば、同級生達との出会いも、偶然ではなかったように感じます。歳は離れていても、同じ外国人同士、精神的に支え合っていた気がします。
自愛へ一歩前進
どんな状況(課題が絶対に終わらないように思えて涙したり、大切な家族と離れて自分は何をしているのだろうと切なくなってしまったり)でも、今世の自分はとても恵まれていて、幸せだと思えるようになったことは、自分として大きな進歩だと思います。
それから、自分の短所も長所も、ありのままの自分を認めようと思えるようになったことも、成長したことだと思います。しかし、頭では分かったつもりでも、魂にまで響くまでには、諦めずに続けるしかないですね。
まとめ
48歳で、ニュージーランドのシェフ・パティシエ養成コースへ留学した経緯とその体験記をご紹介しました。
永住権の取得が主目的でしたが、本格的に料理及び製パン・製菓を習得することも、海外留学も、「叶わぬ夢」だと思っていたことでした。そして、自己信頼を回復することができました。父親に「お前の歳では遅すぎる」と言われながらも、挑戦して良かったと感じます。
輪廻転生があっても、同じ状況の人生は1度限りです。「自分と他者が喜び満たされ、大いなる存在も喜んでくださると思うこと」なら、何もしなで後悔するよりは、気が済むまで挑戦すべきだと思います。
新しいことをチャレンジする際は、「遅い」ということはないものだと実感しました。そして、「自分と他者が喜び満たされ、大いなる存在も喜んでくださると思うこと」が実現できるように願い、最善を尽くしていると、大いなる存在から助けられることを何度も体験しました。
人生において、大切なことは、達成できたかどうかよりも、最期の一呼吸まで、置かれた状況で諦めずに続けることだそうです。つい小さなことで焦ったり、慌ててしまいがちですが、意思の強さは両親から受け継いでいるので、最期まで諦めずに続けたいと思います。
今回も最後までご覧いただきありがとうございます。
Tadashi