
今回は、⼤いなる存在に守られていると思わざるを得ない経験(3回シリーズ)の2回目として、宿泊施設の予約の日付を間違えたにも拘わらず、結果的にラッキーだった体験をご紹介します。
以前にご紹介したフライト予約時の誤入力もあるので、家内の私に対する信頼度は、更に低下したことは否めませんが、気にしない、気にしない・・・。なぜなら、自愛(ありのままの自分も許し、認め、愛する)という約束がありますから。
- 参考ブログ:フライトの予約ミスが招いた大変談・その1:名前が違う!
- 参考ブログ:フライトの予約ミスが招いた大変談・その2:私の予約がない?
- 参考ブログ:フライトの予約ミスが招いた大変談・その3:返金小切手が届かない?
昔から、ケアレスミスが多くありました。学校の試験も、大体がケアレスミスで100点満点はあり得ませんでした。「三つ子の魂百まで」とはよく言ったものですね・・・。たぶん、そのような夫をもった家内は、「忍耐力」を養っていると思うことにします。
現地に到着後、すぐにチェックインしようと思ったら、生憎、部屋の掃除がまだ終わっていませんでした。正規のチェックイン時間より早かったので仕方ありません。受付で大きな荷物を預かってもらい、その間、昼食を取ることにしました。
⾷後、宿にチェックインしようとすると、なんと、翌週の同じ曜⽇で予約していたことが発覚しました。そんなはずはないと、念のために紙に印刷していた控えを確認したら、確かに曜日は合っているのですが、⽇付が翌週でした。
当時、仕事が忙し過ぎて、疲労困憊して、頻繁に家内からヒーリングを受けていました。注意散漫だったようです。我ながら、⼼の中で「ありえない︕」と叫びながら唖然としてしまいました。己の未熟さに気づくためには、良い機会だったと思います。
冬休み期間で混んでいる時期でしたが、幸いにも、1部屋だけ空きがありました。宿泊施設のご厚意で、無事に宿泊できました。ネット予約の際、既に料金を支払っていましたが、予約サイトのシステム上、変更ができないため、その場で、再度、宿泊料金を支払う必要がありました。
しかし、良心的に、サイト上の料⾦よりも安くしてくださいました(予約サイトが徴収する手数料を差し引いた料金)。そして、ネットで予約した分は、後⽇、電話の⼿続きで、全額が返⾦されました。しかも、とても親切に手続きの方法を教えてくださいました。
これは、全て、⼤いなる存在の恩寵だと感じました。先にご紹介した「フライトの予約ミスが招いた大変談」でも、同じように、もう1度、料金を支払い、後日、返金される体験をしていますが、その時と比べると、大違いでした。
電話による手続きも、何の障害もなく完了しました。かつては、私の苦手意識が、私自身に困難なように感じさせていただけなのかもしれません。緊張するというということは、本来、持っている能力・才能を十分に発揮できないことになりますからね。
言語は、習うよりも、慣れろですね。シドニーで英語学校に通っていた頃、ただ、英語を勉強するよりも、英語を使って何かを勉強した方が、上達が早いと聞きましたが、その後の実体験を通じて、全くその通りだと思います。特に、英語を使って仕事となると、真剣さの度合いは全く違いますね。
ホームステイしていた頃、10歳の子どもがペラペラ喋っていて、「それと比べたら、自分は10歳以下だ」と卑下してしまいましたが、今では、それは違うと気づきました。ただ、英語に慣れていなかっただけなのですね。
英語を話すことは、学力とは全く無関係です。その証拠に、日本で生まれて、育てば、誰もが学力とは関係なく、日本語で会話できますよね。例え、読み書きができない漢字があったり、意味の分からない言葉があったりしたとしてもです。
しかも、英語はアルファベットだけですから、文字を入力する際も、日本語のように文字変換する必要もなく、同音異義語の漢字もありません。急いでメッセージを送る時は、日本語よりも英語の方が手っ取り早いと感じます。
話を戻しますが、滞在した宿泊施設は、とても広々としていて、台所設備も気に入りました。休暇で滞在するには、快適だと思いました。しかし、生活することを考えると、現在、暮らしている場所の方が、格段に素晴らしいと感じます。やはり、旅行と日常生活では、必要となる要素が違うのですね。
後⽇、「Sathya Sai’s Message for the Day」という⽇めくりカレンダー(家内からもらったインド土産)の7⽉18⽇のページには以下のメッセージを⾒つけました。
[Sathya Sai’s Message for the Day: July 18]
God is omnipotent, all powerful. God is omnipresent, present everywhere. God is omniscient, all knowing.
Sri Sathya Sai Sadhana Trust, Publications Division
*参考(意訳)︓神は全能で強⼒である。神は遍在し、どこにでも存在する。神は全知で、全てを知っている。
以上を読んで、神聖な存在は、私のケアレスミスもご存じで、宿泊施設を1部屋だけ空きにしておいてくださったのだと感じました。この事実を、単なる偶然かこじつけと捉えるか、恩寵と捉えるかで、同じ状況でも、全く違った気持ちになるものですね。
ここに「どのような状況でも、常に幸せでいる」ためのヒントが隠されているように思いました。結局は、自分の捉え方次第で、いくらでも、幸せにも、不幸にも変わるものなのですね。だから、真の幸せとは、誰かから貰うものではなく、自分自身で得るものなのだと感じます。
宗教でいう「神」は、「真の愛(無条件の愛)」が具現化したものだそうです。しかも、⾃分の魂にも内在しているのです。どこにいても、常に全能で強⼒、全知な「神」と⼀緒なわけですから、とても⼼強いわけです。
だからこそ、「⾃分に内在する神聖な存在を信じて頼ること(⾃⼰信頼)」と「⾃分に内在する神聖な存在を信じて仰ぎ⾒る⼼(信仰⼼)」、そして、「全ての判断を神聖な存在に託すこと(全託)」が必要不可欠と言えます。
また、⾃分や他者を批判したり、卑下したりも同様ですが・・・。なぜなら、自分や他者にも神聖な存在が内在しているのですから、全能な神聖な存在を批判するという愚かな行為となります。
一方で、そのような未熟で愚かな己のことでさえも、「⾃愛(ありのままの⾃分を認め、許し、愛すること)」する必要があるので、人生は、なかなか、容易ではありません。
⾃分の不完全なところを⾒ないようにして、ただ、完璧を目指し、⾃分や他者を批判し続けていた頃があります。頑張れば、頑張るほど、状況が悪化する体験があるからこそ、今のとの違いに気づけるのかもしれません。
今回は、⼤いなる存在に守られていると思わざるを得ない経験(3回シリーズ)の2回目として、宿泊施設の予約の日付を間違えたにも拘わらず、結果的にラッキーだった体験をご紹介しました。
当初は、⻑距離バスの交通事故に遭っても⼤した怪我はなく、宿泊施設の予約ミスがあっても無事に安く泊まれて、「めでたしめでたし」だと思っていました。しかし、この後、目には⾒えない事柄からの影響を受けていたことを知らされることになります。その3に続く。
今回も最後までご覧いただきありがとうございます。
Tadashi