Truth:神の恩寵を受け取れるかどうかは、己の言動次第?

Auckland(オークランド), New Zealand

(※2020年7月19日に旧ブログへ掲載した記事を移転しました)

facebookの「サティヤ サイ ババの御言葉」に投稿されていた「神の恩寵を受け取れるかどうかは、己の言動次第」という内容の御言葉を紹介します。

神の恩寵は、全ての魂へ分け隔てなく与えられていたのですね。そして、それを有効に使いこなせるかどうかは、自分次第ということですね。

一見、神が与えた罰のように感じることも、神が助けてくださったと感じることも、神の意思とは無関係だったとは。。。確かに、同じことが起きても、自分の受け取り方だけで、「罰」にも「恩寵」にも変わるものですね。

だから、同じ状況でも、自分次第で幸せにも不幸にも変われるのですね。多くの聖者が、いつも幸せでいなさいと言われるわけが何となく分かったような。。。

最近、不平不満に思うよりは、感謝した方が、神の恩寵を受けやすいと感じています。それは、神の恩寵という風を受けやすいように、帆を張ることだったのですね。

帆を張るのも、巻き上げるのも、全ては当人の自由意志に任されているそうです。この原理に気づくためには、いろいろな体験が必要なのですね。頭で分かったつもりになっても、実際に魂に響くまでには、時間が掛かるものですから。。。


facebookの「サティヤ サイ ババの御言葉」(2020年7月14日 10:44)から引用

神は、⼀部の⼈々を罰し、それ以外の⼈々を好むと、⾔われています。
神はどちらもしないということを、私はあなた⽅に告げましょう。

神は、この電線の中を流れる電流のようなものです。
それは扇⾵機を回し、その⼈の⽣活を涼しくします。
電気椅⼦を操作し、その⼈の命を絶ちます。

それには、温かい空気を和らげようという願望はなく、殺したいという切望もありません。

神の恩寵は、吹く⾵のようなものです。
帆を巻き上げれば、船はのろのろとしか動けなくなります。
帆を張れば、船はどんどん速く動きます。

それは光のようなものです。
ある⼈はその明るさを使って善を⾏います。
別の⼈はそれを使って邪悪な計画を実⾏します。

「アウターナイト」
(⾃分のために外の世界を暗くすること)ではなく、

「インナーデイ」
(⽇中のように内⾯の光を輝かせること)でありなさい。

ヴェーダはあなた⽅にこの真理を教え、
この幸運を⼿に⼊れるために必要な規律を授けます。

―1963年1⽉25⽇の御講話


しかし、分かったつもりでいると、不平不満に感じることが起こるものです。特に、視野が狭くなっている時は、「とても感謝は無理」と感じてしまいがちです。まあ、簡単に、自分の発想を変えられるものではないので、根気がいりますね。

また、神の恩寵は、自分のためだけでなく、他者のために使った時、更なる恩寵がもたらされるものです。一つ一つ、現実生活の中で、チャレンジしようと思います。

今日、職場で「何か宗教でもやっているの?」と聞かれました。。まさか、ババ様のお写真に救われてから、ババ様の教えを参考にして生きているとも言えず。。。でも、宗教団体に所属してるわけではなく、宗教勧誘したわけでもないのですが。。。

確かに少し変わっているという自覚はあります。成り行き上、食のプロの道を選んだら、自己信頼と信仰心を取り戻す修行がついてきて、自分でも驚愕しています。

今回も最後までご覧いただきありがとうございます。

Tadashi


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