
今回は、30年経ってようやく理解できた「ここがロドス島だ、ここで跳べ」という、イソップ寓話に収められた「ほら吹き男」の話に出てくる言葉について、私自身の実体験を交えてご紹介します。
その話は、以下のような内容です。古代競技のある選手が遠征先から帰ってきて、「おれはロドス島では、五輪選手も及ばないような大跳躍をした。皆がロドス島へ行くことがあれば、その大跳躍を見た観客が快く証言してくれるだろう」と自慢話をしたところ、それを聞いていた者の一人が「そんな証言は要らない。君が大跳躍をしたと言うなら、ここがロドスだ、ここで跳べ。」と言ったそうです。
当時、社会人3年目でした。自分から望んで就いた仕事で、当初は、喜びを感じながら働いていました。朝から夜遅くまで、時には徹夜や週末出勤でしたが、仕事が面白くて、「好きなことをやってお金が貰える」という感覚でした。
その頃は、生意気にも、ありきたりの平凡なサラリーマン生活は望んでいませんでしたので、平凡ではない生活にワクワクしていたばずでした。しかし、週6日間勤務で、半土(土曜日は半日)の友人が羨ましかったくらいでした。大型連休も、夏休みも、年末年始も、直前にならないと休めるかどうか定かではなく、旅行の予約もままなりませんでした。
実は、学生時代は、建築を学びましたが、西ヨーロッパの建築物を視察する研修旅行に行ってから、海外旅行が好きになりました。卒業旅行では、働いてから返済するスキップ・ローンでアメリカ本土とハワイを巡るツアーに参加しました。社会人になってからは、まとまった休みが取れなくなり、まとまったお金を使う暇もなく、しかも、実家から通勤していたので、初年度にローンを一括返済していました。
海外旅行へ行きたい気持ちは高まり、また、両親譲りの、何ごとにも手を抜けない、くそ真面目な性格が災いして、次第に、心身共に限界を感じていました。時はバルブ経済のまっただ中、新卒の初任給の引き上げと共に、自分の給料も上がり、人手不足で倒産する会社もある頃でした。
最初は、会社を辞めて、数ヶ月間、アメリカの語学学校にでも通えば、日常生活に支障ない英語力がつく筈だと思い始めていました。そんなに甘くないことは、後に悟ることになるのですが・・・。そのような中、オーストラリアで、当時、25歳までなら、学校に通って、働ける観光ビザとして、ワーキング・ホリデー制度があることを知り、オーストラリアへ行こうと決めました。
[参考ブログ]True-Story:人生のターニングポイント – その1 – オーストラリアとの出会い
それは、幼い頃、海外旅行など自分には無縁のことと思いながらも、テレビで、オーストラリアを紹介する映像をみて、とても興味を持ったからです。大きな大陸で、オーストラリアの冬場、スキーをした後、北部へ行けば泳ぐこともできて、大陸の中心には大きな一枚岩の山があると・・・。もう、心はオーストラリアに飛んでいました。
その時、なぜか、ニュージーランドには、あまり興味がわきませんでした。とにかく、オーストラリア大陸を一周したいという気持ちは日に日に高まって行きました。
そして、辞意を伝えた際、当時、勤務していた会社の社長さんから、「ここがロドス島だ、ここで跳べ」の話を聞きました。
この話については、いろいろな解釈があるようです。しかし、「どんなに辛くても、与えられた舞台で、君も精一杯頑張るべきだ」という人生の先輩からの助言だったと思います。実は、彼自らも、体調を壊すほど働いていたのです。本当は、ご自身に言い聞かせていたのかもしれません。
事務手続き上は退職でしたが、ご厚意で、実質は休職扱いでした。本当は、復職するつもりはありませんでした。しかし、帰国後、自分なりに考えた末、同じ職場に復職しました。そして、通算で5年のキャリアを積めたお陰で、更に良い条件で転職することが出来ました。
現在の私は、当時の社長の年齢を遙かに超えてしまいましたが、今になって、あの時の彼の気持ちが分かるような気がします。改めて、いろいろな人々に支えられて、今の自分があるのだと感謝しています。
これまでの人生を振り返ると、2~3年の周期で、生活環境が変わっています。最初に勤務した会社も、前半と後半では、全く別会社のように、職場の先輩や同僚が変わりました。転職後も、通算で約10年勤めましたが、2~3年の周期で、組織が変わったり、オフィスが移転したり、全く別の職場のようでした。
長年勤めた会社を辞めてから、いよいよ、ありきたりとはほど遠い生活が始まりました。スクバー・ダイビング・インストラクター、ヒーラー、主夫、学生、シェフ兼パティシエなど、殆ど「下積み生活」のオンパレード・・・。「いつ日の目を見るのだろうか?」、それとも、「日の目をみることはあるのだろうか?」そのような感覚でした。
ニュージーランドもオーストラリアも、人生の途中でキャリアを変えることは「普通」のことで、親子で大学生も当たり前、40代で修士課程にチャレンジする人も少なくありません。主夫も当たり前にいます。奥さんの方がご主人よりも高収入なことも普通です。
一方、日本では、全く正反対の場合が多いです。最近は、変わってきているようですが・・・。それは、良い、悪いではなく、ただ、価値観が違うだけにしか過ぎませんが・・・。また、多民族国家で、さまざまな生活習慣あり、さまざまな言語訛りの英語を話し、多様な価値観を知るためには、格好な環境だと感じます。
もし、日本で、主夫、50歳間近で学生、50歳過ぎてから見習いシェフ兼パティシエだったら、とても居心地が悪かったかもしれません。自分の枠を広げる上で、多様な価値観を知ることができて良かったと思います。
ニュージーランドに来てからも、最初の2年間が学校、そして、カフェで働いていた頃も、途中で、オーナーが変わり、別の店のようでした。このように、私の「舞台」は、目まぐるしく変わっています。自分の意思とは無関係のようです。
そして、1つ気づいたことがあります。元々、変化することは得意ではないのですが、変わることを恐れて、現状を維持しようして、執着しようとすると、自分自身がとても辛い思いをすることになるのです。まるで、目には見えない力で、強制的に引き剥がされるような感じです。
表面的な意識では、ぬるま湯にいつまでもゆっくりと浸かっていたいのですが、深層意識は、全く正反対のようです。まるで、「ゆっくりするのは、中間世に戻ってからにしてね。」と言われているような感じさえします。
60代も間近に迫ってきましたが、人生の流れには逆らわずに、身を任せるのが最善策のように思えます。なぜなら、例え、その時は、変わりたくないと思ったとしても、後になって考えると、あの時に変わって良かったと思えるからです。
全託という言葉があります。全てを託す。誰に託すか。それは、目には見えない流れ、真の愛、宗教では「神」とも呼びますね。その神聖な存在は、今の自分が知っている己だけでなく、己の魂が発せられ時から現在まで、全てをご存じなのですから、お任せするのに限るのですね。
今回も最後までご覧いただきありがとうございます。
Tadashi