
私の人生に大きな影響を与えたのは、オーストラリアとスクーバダイビング、そして、ヒーリングとの出会いです。これらのどれか1つが欠けても、今の自分はいなかったと断言できます。今回は「その1」として、オーストラリアと私の出会いをご紹介します。
人それぞれに「人生のターニングポイント (Turning Point in My Life)」、すなわち、人生の転機は、必ずあるはずです。人生は三択と言われますが、人生における様々な節目で選択した結果が、現在に繋がっているのですね。
しかし、その結果に、善し悪しは存在しません。ただ、その時の表面意識が好んだ結果は「善い」、好まなかった結果は「悪い」と区分けしているだけなのですね。両方とも、自分の深層意識が必要としていた体験にしか過ぎません。
事実、その時は「悪い」と感じたことでも、後に「善い」と感じることも、また、その逆もあります(多数体験済)。しかも、それは、何度も輪廻転生を繰り返した後、何百年後に、やっと気づくことさえもあります(体験済)。だから、己が所有する時空を広げる必要があるのですね。
今から約30年前、私はシドニーの英語学校に通っていました。当時、クラスで「人生のターニングポイント (Turning point in life)」について話し合う機会がありました。他のクラスメートも私も「オーストラリアへ来たこと」がターニングポイントだと語っていました。
1. ワーキングホリデー経験
- 社会人3年目、学生時代の海外旅行が忘れられず、海外長期滞在への願望が増す
- 休職し、子どもの頃に憧れていたオーストラリアへの渡航を決意
- 就学・就労が可能なワーキングホリデービザを取得
【1989年9月~11月、シドニー滞在】
- 親日家のオージー(Aussie)宅にホームステイ(日本との連絡手段は、コイン式の公衆電話か郵便のみ。ほぼ日本からの情報は遮断された状況)
- 英語学校へ通学(フルタイム:10週間)
- 英国式英語と豪州訛りに奮闘する日々
- スクーバダイビングの講習を受け、シドニーで初ダイビング
- PADI・OWD(オープン・ウォーター・ダイバー・コース)及び、AOW(アドヴァンスド・オープン・ウォーター・ダイバー・コース)を受講
【1989年11月~1990年1月、一周旅行】

- 長距離バスのオーストラリア一周パスを使って、貧乏一人旅、頼れるのは自分だけ(ネットや携帯電話が普及する以前のため、バスや宿の予約は、直接か公衆電話のみ。英語会話力がめざましく向上し、ホストマザーから驚かれる。)
- 周遊ルート:1.シドニー -<バス>- 2.サーファーズ パラダイス -<バス>- 3.ブリスベン -<バス>- 4.ロックハンプトン -<船>- 5.グレートケッペル島 -<船・バス>- 6.ポートダグラス -<バス>- 7.ケアンズ -<バス>- 8.タウンズビル -<バス>- 9.ウルル -<バス>- 10.アリススプリングス -<バス>- 11.マタランカ -<バス>- 12.ダーウィン(含む、カカドゥ国立公園) -<バス>- 13.ブルーム -<バス>- 14.パース(1ヶ月滞在、含む、ロットネスト島) -<列車>- 15.アデレード -<船>- 16.カンガルー島 -<船・バス>- 17.メルボルン -<船>- 18.タスマニア島一周ツアー -<飛行機・バス>- 19.キャンベラ -<バス>- シドニー
- 長距離寝台列車 インディアン パシフィック号に乗車(パースからアデレードまで)
- タスマニア島は若者向け一周格安ツアー(英語圏向け、ガイド兼ドライバーの他、シェフも同行)に参加
- グレートバリアリーフ(ポートダグラス)とロットネスト島(パース)でダイビング(なぜだか「義務的」に潜り、あまり楽しむ余裕なし)
【1990年1月~7月、シドニー滞在】
- 再びシドニーへ戻り、同じお宅にホームステイ
- 求職活動するも、結局、就労せず、英語学校へ通学(パートタイム、思うように英語が上達せずに落ち込む日々)
- 合計約9ヶ月間お世話になったホストマザーは「オーストラリアのお母さん」
2. その後のオーストラリア渡航歴
- 渡航回数は通算30回以上、主要観光地は2回以上訪問
- その殆どが個人旅行(飛行機・宿は自分で手配)
- 空港やホテルのチェックインなどには困らない程度の英語会話力は維持
- 合計4回、両親を案内
- シドニー → ウルル → ケアンズ
- メルボルン → ホバート → アデレード → カンガルー島 → シドニー
- パース滞在(含む、アルバニー、ロットネスト島)
- ブリスベン → ダーウィン → カカドゥ国立公園 → キャサリン渓谷 → ケアンズ
- グレートバリアリーフ(エージンコート)に魅せられ、ここでのダイビング本数は約200本
- プロダイバーとして活動中、グレートバリアリーフのダイビングツアーを企画・2回催行(案内パンフ版下も自作)
オーストラリアへ行かなければ、スクーバダイビングを始めることはなかったでしょう。憧れはありましたが、「実現することのない夢」でした。しかし、「旅行でグレートバリアリーフに行くなら、体験ダイビングではなく、事前に講習を受けた方が楽しめる」と聞き、とても軽い気持ちで始めました。
その約10年後、日本でインストラクターをしていた頃、お客さんの大半は、「サンゴの海に潜りたくてダイビングを始めました」と熱く語っていました。そのため、自分が始めた理由を話すことは、はばかられたのを思い出します。
もし、インストラクターなっていなければ、当時、家内が所属していたダイビングのプロショップへ行くこともありませんでした。そして、そのプロショップへ行かなければ、ヒーリングと出会うこともありませんでした。その時の自分が選択した1つ1つが、現在に続いています。
「オーストラリア」と「スクーバダイビング」、そして、「ヒーリング」は、家内との共通事項です。そして、これらのどれか1つが欠けても、自分が作ったものを喜んで食べてくださる方の姿を見ることが、己の喜びになることにも気づけませんでした。ましてや、人生の折り返し地点を過ぎた年齢にもかかわらず、異国の地で新しいキャリアを始めようとは思わなかったでしょうね。
何だか、目には見えない存在から「飴」と「鞭」を小出しにされ、気づいたら、日本からオーストラリアを経由してニュージーランドまでたどり着いてしまったように感じます。今回は、私の人生に大きな影響を与えた「オーストラリア」と「スクーバダイビング」、そして、「ヒーリング」のうち、その1として、私とオーストラリアとの出会いをご紹介しました。
[参考ブログ]True-Story:人生のターニングポイント – その2 – スクーバダイビングとの出会い
[参考ブログ]True-Story:人生のターニングポイント – その3 – ヒーリング(オーラリーディング)との出会い
今回も最後までご覧いただきありがとうございます。
Tadashi