トップ > 体心魂の癒し > ヒーリングの軌跡 > ヒーリングの軌跡:母親編Ⅱ – 回復経過 by Hiroko

これは、母がヒーリングによって、病気から救われた時の実話(その2)です。
母が脳梗塞で倒れてから2ヶ月半、幸い経過は安定し、大学病院からリハビリ専門の病院へ転院することになりました。ちょうどその頃、私は大学の学部過程を終了し、日本に一時帰国することができました。
それから、言語機能を失い全く話せなかった状態から、日常で使うちょっとした言葉を発することができるようになっていました。あれ、それ、食べ物、おいしい、などなど。本人にとっても家族にとってもこれは大きな前進でした。
リハビリ病院では、麻痺側の機能回復のための理学療法・作業療法、それから言語機能回復のための言語療法と、連日に渡り充実したリハビリのスケジュールでした。
そんなある日、母にヒーリングを受けさせるため、川崎*1にあるアルケミストを訪れました。高江洲先生のヒーリングは難病を始めあらゆる病気の方に定評があります。母と同じような麻痺症状を持つ方も通院していて、ヒーリングによって効果が見られているとのことでした。
(*1:現在、川崎から熱海へ移転しました)
高江洲先生は、透視能力者として、必要に応じクライアントの内臓透視なども行います。母のヒーリングの際に、脳内の血管を透視し、一部、エネルギーがカビのように詰まっている箇所があったとのことで、この部分をエネルギーで洗い流し、ゴールドのエネルギーで満たすヒーリングを施したと説明してくれました。一度、詰まった血管は再生されませんが、その詰まった血管を補うように新たな血管が再生されて行くでしょうとのことでした。
初回のヒーリング時は、余り感覚のなかった母の麻痺側の手足でしたが、回を重ねるごとに知覚を取り戻し、痛みなどを感じることが多くなっていきました。そして、毎回ヒーリングが終わると、手足の上がり方など、関節の可動域が拡大していくのが第3者の目にも明らかな状態でした。
合計6回の高江洲先生によるヒーリング並びに遠隔ヒーリング*2を受け、母の懸命なリハビリの結果、3ヵ月後の退院時には、母は見事に車イスを卒業し、杖による自力歩行ができるようになりました。同時に何とか電話で話せるまでに語彙力も回復していたのでした。
*2:本人の写真画像や電話、ネットを通してエネルギー(氣)を送る非接触型のヒーリング
後日談として、2009年、病に倒れてから僅か2年弱という期間で、母は父同伴でオーストラリアの我が家に遊びに来ました。最初は海外旅行には反対していた父でしたが、母の熱意に根負けしたようで、何かがあっては心配だからという理由で同行したようでしたが、2人とも十分にここでの滞在を満喫して帰っていきました。そして、2010年3月、また、母は姪と一緒に我が家に遊びに来ました。
ヒーラーとしてナースとして想うこと。それは、家族の一員が病に倒れることとは、本人は勿論、家族にとっても、とても大きな負担としてのしかかってくることを改めて痛感しました。その中で、西洋医学だけでなくこうしたヒーリングなどの代替療法を治療早期の段階で、上手く組み込み統合させていくことが早期回復の一助になることを実感した体験でした。
※これは全て事実に基づいていますが、ヒーリングは本人の自然治癒力を手助けするもので、効果の現れ方には個人差があります。
<アルケミストのホームページはこちら>
http://www.alchemist-japan.co.jp
Hiroko