Truth:「あり得ない!」ことは、霊性トレーニング?

今回は、「あり得ない!」と憤慨することは、己に課せられた「霊性のトレーニング」に違いないと感じる理由を、実体験を通してご紹介します。特に、海外で暮らしていると、特段と驚愕することの連続でした。でも、だから、今、海外で暮らしているのかなとも思うこの頃です。

随分前になりますが、ニュージーランドの「Hope channel(ホープ・チャンネル:キリスト教徒向け専用テレビ局)」で、「身体や心のトレーニングだけでなく、霊性のトレーニングも必要」という番組を観ました。要約すると、霊性のトレーニングとは、信仰心を高めなさいという内容でした。しかし、具体的なそのトレーニング方法は分かりませんでした。

Lion Rock(ライオン・ロック), Piha, Auckland, New Zealand


1999年、WHO(World Health Organization:世界保健機関)は、健康の定義として、以下の1.~3.に4.を加えました。

1. Physical Health(肉体的な健康)

2. Mental Health(精神的な健康)

3. Social Health(社会的な健康)

4. Spiritual Health(直訳:霊的な健康)

通常では、健康というと身体と心だけのイメージがありましたが、魂の健康という概念が注目されるようになってきたようですね。

「信仰」とは文字通り「信じて仰ぎ見る」です。一般的に、信仰や宗教というと、何か卑しげな新興宗教のイメージが先行しがちですね。私自身は、特定の宗教の信者になったことはありません。しかし、初詣や合格祈願、厄除けなど、困った時に神頼みするだけでしたが、常に「目には見えない存在に守られている」という確信はありました。

今では、それは「大いなる神聖な存在(宗教でいう「神」)」だと分かりました。しかも、真の愛が具現化したのが「神」で、真の愛とは、無条件の愛、無償の愛です。宗教団体のお布施は、建造物や組織を維持するために必要な経費であって、真の愛(宗教でいう「神」)は何も要求しないのですね。

海外で暮らすようになって、通算で14年になりますが、日本で暮らしていた頃よりも「あり得ない」と憤慨することは、日常茶飯事でした。まさしく、「日本の常識は、世界の非常識」と身をもって体験してきました。ただ、文化風習が異なるだけで、どちらが正しくて、どちらが間違っているというものではないことは、現在でも学習中です。

「あり得ない」と憤慨するのは、自分の価値観を基準として、自分の思い通りにならなかった時なのですね。そして、通常、自分の価値観だけを優先して、周りを変えさせようと躍起になりがちです。でも、これでは、霊性のトレーニングになりませんから、それに気づかせるために、己に更なる災難が降りかかる構図に陥りがちです(体験談)。

相手を変えるよりも、自分を変える方が、手っ取り早いです。しかも、このことに気づくと、「あり得ない」現象が、嘘のように消えます。もう、「必要なくなった」と言われているかのように・・・。逆に、それに気づかずにいた場合、その状況は、また姿形を変えて、「再試験」のように「パス」できるまで永遠に続きます。霊性のトレーニングからは逃れられないようです。

特段、オーストラリアからニュージーランドへ転居し、専門学校へ通うようになってから、まるで真の愛(宗教でいう「神」)に対する信仰心を高めるため、特別に用意された試練のように、精神的に追い込まれる日々でした。なぜなら、それまでは、私より先に現地で生活していた家内のお陰で救われることも少なくなかったからです。しかし、転居後は、全く身寄りもいない中、単独で全て1から始めなければなりませんでした。

料理・製菓・製パンのコースを修了し、現地のカフェの仕事を見つけるまでは、なんとか、自己信頼の積み重ねだけで、1つ1つ、クリアできていました。シェフ講師からは、「自分を信じろ、そうすれば上手く行く」と何度も聞かされていました。事実、「今回こそは絶対に無理!」と思えたことでも、クリアできた繰り返しで、次第に自己信頼度は高まっていきました。

もうすぐ50歳のおじさんが、海外に一人で何をやっているのだろうと思うことも多々でしたが・・・。大きな企業では、50代半ばで役職定年ですからね。当時の自分は、役職どころ、まだ、何の実務経験もない”学生”でしたので。頭では、自らの意思でキャリアを変えたのですから、それは仕方ないことだと・・・。しかし、自 分の選択を後悔したことは、1度もありません。人生ひとそれぞれ、過去世での体験も違えば、今世に必要な体験も違うわけで、他者との比較は無意味ですから。

ただ、何ごとも、やらないで後悔するよりは、自分が納得するまでやってみることだと思います。歌詞にもありますが、失敗を恐れていたら、成功はつかめませんからね。世間でいう「成功者」も、陰で数多くの失敗を繰り返した結果だそうですから。逆に言えば、大半の人は、成功する前に止めてしまうから、失敗のままで終わっているだけですね。

しかし、働き始めてからは、これまでにも増して「あり得ないこと」の繰り返しで、「もう、そろそろ無理かも」と感じ、弱気になることも少なくありませんでした。そして、この「あり得ない」と感じる体験は、真の愛(宗教でいう「神」)から、自分へ与えられた「霊性トレーニング」に違いないと思うようになりました。

そんなある日、帰宅後、部屋に飾ってあった写真立てを見た途端、突然に号泣し始めた自分自身に驚愕しました。いよいよ、メンタル的にまずいことになったのかと、第三者的に冷静に傍観するもう1人自分もいました。それは、家内の顔写真ではなく、インドの聖者、サティヤ・サイ・ババ様のお写真でした。

それは、家内がニュージーランドへ来る度に置いていったものでした。実は、それまでは、内心「勝手に置いていって迷惑」的な心境でした(今から振り返れば、何という不届き者・・・)。なぜなら、当時の自分は、偶像崇拝に抵抗感がありましたので・・・。

自分でも不思議でしたが、それまで溜まっていたネガティブな感情(怒り、情けなさ、悲しみ、恨み)が徐々に薄れ、魂が軽くなった気がしました。洪水のような涙は、心を浄化してくれました。今では、毎晩、その日 に感謝し、明日も与えられた能力・才能が発揮できるよう祈っています。

現在では、霊性のトレーニングは、自己信頼と信仰心だけでなく、他の3要素も不可欠だと学習中です。それについては、長くなるので、別の機会にでもご紹介したいと思います。

今回も最後までご覧いただきありがとうございます。

Tadashi

Tadashi

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