50歳で、ニュージーランドのシェフ・パティシエ養成コースを修了する直前、現地で就職活動した体験記をご紹介します。まるで、自分の意思を明確にした途端、働く場所が具現化され、それに導かれたようです。「自由意志の法則」が存在するため、己が覚悟を決めれば、最も望ましい方向へ自動的に引き寄せられるものだと実感しています。
まるで、磁石が砂鉄を集めるように、自分を助けてくれる人々が集まってくるものだと実感しています。日本人の発想では「50歳で料理学校や製菓学校を卒業しても、誰も雇ってくれはしない。」だと思います。
ブログ記事「True-Story:私に多大な影響を与えたMaterChef Australia」でご紹介したように、転職してシェフになった方々が発した以下の言葉の重みを実感しました。
自己信頼がなければ、それは「自分を信じて頼っていない」状態ですから、「雇用主からも信頼されない=不採用」という現実を引き寄せてしまう場合があります。また、「自分は駄目」だと思い込んでいると、本当に、その通りに状況を引き寄せがちです。
一方で、自己信頼は、容易く築けるものではありません。私の場合、シェフ・パティシエ養成コースを通じて、1つ1つ、自分には無理そうに思えたことを達成しながら、随分と自己信頼を回復しつつあります。
ここで忘れてならないことは、「不採用=自分は駄目な存在」ではないことです。いくら表面意識で「働きたい職場」であっても、もし、深い意識では「今世は不要な経験」と考えていれば、不採用となるだけです。
仮に、自分の思い通りの結果にならなくても、落ち込む必要は一切なく、ただ、大いなる存在を信じて祈り、全託しながら、淡々と確認作業とするだけです。自分が知らない本当の自分まで、全てを知っているのは大いなる存在だけだそうですから。
自己信頼がなければ、他者からも信じられないことは、反響反映、鏡の法則です。例えば、自分が英語を使って仕事ができるどうか不安があれば、自分の深層意識が「英語を使った仕事が見るかならない状況」を引き寄せてしまいます。
シェフやパティシエの場合、いくら英語が堪能でも、シェフやパティシエとしての知識や実技がなければ勤まりません。しかも、シェフやパティシエの仕事で使う英語表現も限られています。
日本語でも、意味を知らない単語があっても、それを質問する決まり文句さえ知っていれば、何不自由なく生活できます。英語でも同様です。そのように自分自身を納得させたら、現地のカフェで働くことに対する恐怖が軽減しました。
当時通っていた学校では、無給のインターンシップ制度がありました。私は、大規模ホテルと小規模ホテルでのインターンシップを申し込みましたが、結局、実現することはありませんでした。
後日、就職課で確認したところ、私の申込書が何処かへ紛れてしまったようでした。あり得ない状況に憤慨しました。しかし、今では、以下のブログ記事でご紹介したように、大いなる存在の意思だったと感じます。
実は、インターンシップで一生懸命に働けば、就職できると思っていました。実際に、大手ホテルでインターンシップして、そのまま就職した同級生もいました。
しかし、今世の私の場合、ホテルの厨房で修業して、名をはせるようになる前に、お爺さんになってしまいます。そのようにならないよう、大いなる存在が分かり易く教えてくださったのだと思います。
シェフ・パティシエ養成コースの卒業を間近に控え、何でもいいから、職探しをしなければならないと、躍起になっていました。多くの同級生は、在学中からバイトして職歴をつけ、就職先を見つけていました。しかし、当時の私は、肉体的にも精神的にも、バイトする余裕は皆無でした。
いくらシェフ・パティシエの資格を取得しても、未経験では、応募できる求人は限られていました。ネットで求人情報を見つけて、応募しても、全く返答がないことが続きました。同級生からの情報では、「ネットで応募するより、直接、出向いた方が確実」でした。
最初は、皿洗いからでも、何でもいいから、とにかく職歴をつくることが先決だと考えていました。しかし、何よりも、まず、自分がやりたいことを明確にすることが重要だと気づく出来事がありました。
そして、自分が本当にやりたいことが明確になれば、必ず、それに相応しい場所が見つかるはずという気持ちが、確信に変わっていきました。将来的に、旬の地場食材を使って癒される食を提供したいと思いました。
そのためには、まず、料理及び製パン・製菓の実務に携わりたいと考えました。なぜなら、折角、シェフ・パティシエ養成コースでシェフとパティシエとしての知識と実技を習得したのだから、それを実際に使いたいと思ったからです。
結論から言うと、事前にネットで募集広告を調べ、CV(Curriculum Vitae:履歴書)を持参して、飛び込みの訪問がとても有効でした。どの店も、無下に断られることはなく、料理長と会うことができました。
相手が忙しそうな時間帯は絶対に避け、ただ、まだ募集しているかを出向いて確認するつもりで出掛けました。「もう、募集していない」と言われたら、「ああ、ここではなかった。」と確認できたと捉えると、落ち込むこともありません。
また、トライアルまでこぎ着き、フィードバックも良く、後日、連絡すると言われたのに、何の返答もなかったこともありました。しかし、この時も、自分の人格が否定された訳でなく、ただ、「ああ、ここではなかった。」と確認できたと捉え、前向きに次を探すことができました。
募集の有無に関わらず、CV(Curriculum Vitae:履歴書)を配る人もいますが、それは時間と紙の無駄です。なぜなら、募集していない店では、そのCV(Curriculum Vitae:履歴書)は、そのまま、ゴミ箱行きか、そのまま、厨房に放置されるのがオチだからです。
私の場合、日本語でも、初対面の相手へ電話するのが苦手です。そのため、直接、出向いて話す方が向いています。また、私は、実年齢よりも若く見られることが多く、世界的にも「日本人は真面目で勤勉」というイメージをアピールできる直接に訪問する方が、有効でした。
数週間後に卒業式を控えたある日、オークランドの中心市街地の西側に位置するポンソンビーにあるカフェの仕事を、やっとゲットできました。まさか、自分が、現地人の経営するカフェで働くようになるとは夢にも思いませんでした。しかも、カフェ激戦区と言われるポンソンビーにあるカフェの仕事を自力で探し、約5年働けたことは、本当に貴重な体験でした。
ネットの求人には「シェフ募集」とありましたが、駄目元で、飛び込みで訪問しました。あいにく料理長は不在で、気むずかしそうなマネージャー(経営者)が対応してくれました。CV(Curriculum Vitae:履歴書)を見ながら、私の話を聞いてくれました。
そして、「ポーチドエッグは作れるか?」と聞かれ、そのまま、厨房へ招かれ、そこで、ポーチドエッグを作りました。彼から「ボクより上手いな」と言われ、早速、その日の夜、トライアルがありました。
予想以上に長い面接で、終わった後、次の店を訪問する時間はなくなっていました。その夜、カフェの厨房には、とても優しそうで若い料理長がいました。偶然にも、同じ学校の先輩でした。
1時間程度のトライアルでしたが、私のことを気に入ってくれた様子でした。翌日、採用の連絡が来ました。まだ、就学ビザで、週20時間しか働けなかったため、週末だけ、キッチンバンド(料理補助)として働くようになりました。
今では、そのカフェは、大いなる存在が、私が望んだ体験をするに相応しい職場を用意してくださったと感じます。そこで出会ったスタッフやお客さんも含め、偶然ではなく、必然だったように思います。
50歳で、ニュージーランドのシェフ・パティシエ養成コースを修了する直前、現地で就職活動した体験記をご紹介しました。まるで、自分の意思を明確にした途端、働く場所が具現化され、それに導かれたこと、己が覚悟を決めれば最も望ましい方向へ自動的に引き寄せられることもご紹介しました。
当時は、ハラハラ、ドキドキ、どうなることか分かりませんでした。今から30年以上も前、ワーキング・ホリデー・ビザでオーストラリアに滞在していた頃の自分が、今の自分を知ったら驚愕するでしょうね。
なぜなら、当時の自分にとっては、シェフやパティシエになることも、海外留学することも、永住権を取得することも、英語圏で就労することも、全てが「あり得ない」ことだったからです。
今回も最後までご覧いただきありがとうございます。
Tadashi
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