差別と争いのない世界を望んだ日系ニュージーランド人で、第二次世界大戦の退役軍人のJohn Satoさんが旅立たれたことをRadio New Zealandのサイトで知りました。享年98歳だったそうです。ご冥福を心からお祈りします。
自ら人種差別を体験し、第二次世界大戦で、父親の祖国である日本と戦わなければならなかった彼が、生前に発した言葉が記事に掲載されていて、とても共鳴しました。日本のメディアで紹介される可能性は低いと思うので、一部抜粋して和訳した内容をご紹介します。
自ら人種差別を体験し、第二次世界大戦で、父親の祖国である日本と戦わなければならなかった彼が、発した言葉をご紹介します。生前の彼を知る人は、「彼は、謙虚で、優しく、賢い人だった」と語っているそうです。
記事の中に、彼の母親はスコットランド人、父親は日本人で、ニュージーランドで生まれた後、オーストラリアで育った時、人種差別を経験したとありました。第二次世界大戦で日本と戦うため、若い時分にニュージーランド軍へ入隊し、その時、日系ニュージーランド人は、彼を含めて2人だけだったそうです。
人々は、みな、同じ地球の上を歩き、同じ空気を吸っているのだから、精神的にも、感情的にも、互いの間の壁は不要だった。
(以下、原文)
World War II veteran John Sato dies aged 98 | RNZ
People all walked on the same earth and breathed the same air, and there was no need to “put a wall between each other mentally and emotionally”
戦争は、何の罪もない命を奪い、時間を無駄にすると、彼は語った。
人生は、憎しみなどの無意味な事柄で無駄にするには短すぎるとも、彼は言った。(以下、原文)
World War II veteran John Sato dies aged 98 | RNZ
He said the war claimed innocent lives and it was a waste of time. Life, he said, was too short to be wasted on meaningless things such as hatred.
彼は、いつも、我々はみな同じ人間で、みな同じだと言っていた。
(以下、原文)
World War II veteran John Sato dies aged 98 | RNZ
“He always said we’re all humans and we’re all the same.”
「過去世リーディング(著者:⾼江洲薫)」や「ミッシングリンク(著者:⾼江洲薫)」によると、通常、今世の人生を終えた後、中間世へ戻り、約50年間をかけて、「シェアリング ソウルメイト」と互いの体験を交換し合い、来世の人生を計画するそうです。
以下のブログでご紹介したように、全ての⼈には、魂の体験を共有する「シェアリング ソウルメイト」がいるそうです。今世の彼の体験は、決して、容易ではなかったでしょうが、彼のシェアリング ソウルメイトの体験にもなるわけですから、「無駄」ではなかったと思います。
来世、彼を含めた6〜7⼈の方々は、差別したり、争ったりする人生は選ばないのでしょう。なぜなら、様々な体験をする必要があるため、同じ体験は繰り返さないそうです。でも、もし、彼が恨みや憎しみを抱いたまま今世を終えていたら、また、似たような体験を繰り返すのですね。許す体験が必要だからです。
ネットの記事には、生前の彼にインタビューした動画がありました。それから感じた彼のエネルギー(氣)に、恨みや不平不満を全く感じませんでした。生前の彼を知る人が語ったように、「謙虚で、優しく、賢い」人柄がにじみ出ていました。
彼とは全く面識がありませんが、同じ日本人として、とても誇らしく感じます。ニュージーランドに来なければ、彼の存在を知る機会はなかったかもしれません。感謝してお見送りしたいと思います。
いくら差別反対、戦争反対と訴えても、過去世も含めて、差別されたり、大切な存在を争いで失ったりすることを未経験の魂は、全く理解不能なのですね。自らが体験して、やっと、魂で理解することができます。
自ら人種差別を体験し、第二次世界大戦で、父親の祖国である日本と戦わなければならなかった日系ニュージーランド人が、生前に発した言葉の一部を和訳してご紹介しました。
今回も最後までご覧いただきありがとうございます。
Tadashi
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