Truth:怒り・不平不満は自分が損する?

(※2021年6月7日に旧ブログへ掲載した記事を移転しました)

他人を見て我が振り直せと言いますが、先日、とても分かり易い事例を目の当たりにしました。それは、ベーカリーで仕事中の時でした。

Rangitoto Island(ランギトト島), New Zealand

あるお客さんが、あるパンはないのかを尋ねてきました。あいにくベーカーが不在で、そのパンは作れない旨を伝えると、ものすごい怒り顔で立ち去りました。他のパンはあるし、そのパンがなかったら死んでしまう訳でもないのに、そんな態度をしなくてもと思いました。

そして、翌週、また同じお客さんが同じことを尋ねました。その時もベーカーが不在で、そのパンは作らない日でしたが、別の支店からのパンがいくつかありました。しかし、あいにく、そのお客さんが来た時には売り切れでした。そのお客さんから、嫌味たっぷりの苦情を言われました。内心、店長へ直接言ってくださいと思いました。。。

しかし、自分が買いたかったパンがない状況は、そのお客さん自身が引き寄せたのだと思いました。もし、前の週に、怒りではなく、残念だけど仕方ないと思い、いつもそのパンを買えていたことに感謝していたら、ちゃんと欲しかったパンを買えたのでしょうね。

朝から焼きたてのパンが買えるということは、皆が寝ている間に誰かがパンを焼いているからなのですよね。自分自身も、パンが買えることは「当たり前」で、感謝するという発想は皆無でした。自分で作ろうと思うと手間ひまがかかりますし、それなりの仕上がりになるための経験も必要です。最近は、家庭用の製パン機もありますが、作れる種類は限定されます。

神の恩寵は、大地に降り注ぐ太陽光のように、全ての生命へ分け隔てなく注がれているそうです。誰かにだけ多く、誰かにだけ少なくはあり得ないのですね。しかし、不平不満や怒りは、太陽を厚い雲が覆い隠すように、神の恩寵を遮るものなのですね。

ただ、自分の思い通りにならない状況に不平不満や怒りを抱いている限り、自分自身の言動がその状況を引き寄せていることに気付くまで、姿形を変えて永遠に続くのですね。かつての自分を振り返って、つくづくそのように思います。

最近になって、徐々に、神の恩寵の受け取るコツがわかってきた気がします。これまで、随分と自らが「損する」言動を続けてきたと思います。

「あり得ない」と思う状況に憤慨するのではなく、心底感謝できることを探すゲームだと、ユーモアで楽しんだ方が得策ではないかと。。。何故なら、どんな状況も、全ては、己の壮念が作り上げた「マーヤ(幻)」、いつかは空に浮かぶ雲のように消滅するものだそうです。

永遠に続くのは、己の魂と内在する真の愛(宗教でいう「神」)だけなのですね。どんなに大切な肉親の存在でさえ、今世の肉体が朽ちて、来世に生まれ変わったら覚えていないのですから。。。

事実、1世代前、若くして死別した夫の忘れ形見である最愛の一人息子が戦死し、悲しみのあまり、自らも病に倒れ亡くなる悲しい過去世は、高江洲薫先生による過去世リーディングのセッションを受けるまで忘れていました。

9世代分の過去世を知り、夫と息子を失った体験は、その前の過去世での己の言動の結果だったことを理解しました。また、異国の地で母より先に亡くなった息子の気持ちを理解するため、今世は、異国の地で母の最期に帰れな体験をしたと気づきました。この事については、別の機会に詳しくお伝えしたいと思います。

不平不満、特に怒りは、他者ではなく、己の心身を破壊してしまうほど恐ろしいものだと思います。この事例も目の当たりにしましたが、これも別の機会にお伝えしたいと思います。

今回も最後までご覧いただきありがとうございます。

Tadashi


Tadashi

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