今回は、IELTS(アイエルツ)のScore(スコア)がアップした実体験をご紹介します。実質1年間で、Overall Score(オーバーオール・スコア)は「4.0」から「5.5」に、特段、Writing(ライティング)は「3.0」から「5.5」に上がりました。
誰でも訓練さえすれば、ある程度まではアップするものだと実感しました。ちなみに、学生時代の英語の成績は、あまり良くありませんでした。
IELTS(International English Language Testing System:アイエルツ)という英語試験には、Academic Module(アカデミックモジュール)とGeneral Training Module(ジェネラルトレーニングモジュール)の2種類があります。
オーストラリアで家内と一緒に暮らしていた頃、IELTS(アイエルツ)のGeneral Training(ジェネラルトレーニング)を2回受験しました。Overall Score(オーバーオール・スコア)は、初回は「4.0」でしたが、2回目には「5.5」に上がりました。
以下が、その時のScore(スコア)一覧です。
IELTS General Training Score
2009.03.07 | 2012.05.26 | |
Listening (リスニング) | 4.0 | 5.5 |
Reading (リーディング) | 4.5 | 4.5 |
Writing (ライティング) | 3.0 | 5.5 |
Speaking (スピーキング) | 5.0 | 6.0 |
Overall (オーバーオール) | 4.0 | 5.5 |
Listening(リスニング)が「4.0」から「5.5」、Speaking(スピーキング)が「5.0」から「6.0」に上がりました。これは、2011年から約1年間、English Conversation Classes(英語会話クラス)に通った効果だと思います。ちなみに、Reading(リーディング)は、特に何も訓練しなかったので変わらずでした。
当初、会話のテンポが速くて、内容についていくだけで精一杯でした。毎週、約2時間でしたが、この時の体験が、Listening(リスニング)とSpeaking(スピーキング)の特訓になったのだと思います。何ごとも慣れなのですね。
そして、そこで出会った方々に、特別にEssay(エッセー)を無償で添削してもらうことになりました。約1年間、毎週のように添削しいただいたお陰で、Writing(ライティング) のScore(スコア)が「3.0」から「5.5」と飛躍的に上がり、自分でも驚きました。
実は、家内から「あなたもIELTS(アイエルツ)を受験したほうがいい」と言われ、内心、しぶしぶ、受験したのでした。しかし、その後、この時にOverall(オーバーオール)で「5.5」を取って良かったと実感することになります。
今、振り返れば、通い始めた時期といい、そこで出会った方がといい、まるで、大いなる存在が、その後の私に「必須となる英語力」を習得させるため、仕向けたかのような展開でした。
ニュージーランドで永住権を申請する際、当時、IELTS(アイエルツ)のScore(スコア)は「6.5」以上が必要でした。もっとScore(スコア)を上げることを覚悟していました。しかし、実際は、これ以降、受験する必要はありませんでした。
それは、私がニュージーランドのDiplomaを取得し、当時、現地人が経営するカフェに勤務していたため、相当の英語力があると見なされたからです。ありがたいことに、IELTS(アイエルツ)を受験する体験は、オーストラリアで終了できました。
IELTS(アイエルツ)はとても過酷な試験でした。英語が母国語の方でも、事前に準備しなければ、容易ではないそうです。解答は、全部、記述式です。単語のスペルを間違えれば、減点されます。Writing(ライティング)の中にEssay(エッセー)もあります。また、Speaking(スピーキング)は必須です。
以前にもご紹介しましたが、20代半ばに、約1年間、シドニーに長期滞在していました。ホームステイをしながら、英語学校へ通っても、なんとなく聞き取れて、なんとなく話せる程度でした。当初は、英語圏で数ヶ月も暮らせば、ペラペラになると思い込んでいましたが、そんなに容易いことではありませんでした。
参考記事:人生のターニングポイント・その1:オーストラリアとの出会い
当時、帰国後に、TOEIC(Test of English for International Communication:トーイック、国際コミュニケーション英語能力テスト)を受験しましたが、精々600点程度でした。Listening(リスニング)は、まあまあでしたが、Reading(リーディング)とWriting(ライティング)が足を引っ張っていました。高得点ではなかったので、Speaking(スピーキング)を受けたことはありませんでした。
当時、仕事をしながら、飯田橋にあったBritish Councill(ブリティッシュ・カウンシル)の英語学校に夜間通ったり、TOEIC用の通信教育を受けたりもしましたが、思うように英語力は向上しませんでした。
日本の英語学校では、ある程度、話して聞く能力の現状維持にはなったと思います。しかし、読んだり、書いたりする訓練は、自分自身でやるしかないのですよね。しかし、30代になると、仕事が忙しくなり、なかなか、読み書きの訓練をする時間はありませんでした。
次第に、海外留学や海外移住の夢は遠のくばかりでした。今から振り返れば、家内のように、度胸を決めて、現地で、大学へ入学するための英語学校へ通った方が、近道だったかもしれません。しかし、当時の自分には、その度胸がありませんでした。なぜなら、自分を信頼していなかったからです。
長年勤めた会社を辞めて、スクーバダイビングのインストラクターとなり、その後、オーストラリアで主夫となるまでの経緯は、以下のブログをご参照ください。
参考ブログ:人生のターニングポイント・その2:スクーバダイビングとの出会い
参考ブログ:過去世でのフラッシュバック:バイロン岬で涙、そのわけは?
現地で知り合った日本人の方から誘われ、2011年から、近くの図書館で毎週、無料で開催されていたEnglish Conversation Classes(英語会話クラス)に通うことになります。もし、自分一人だったら躊躇したでしょう。
当時、彼は既に永住権を持っていて、現地人と一緒に働かれていたので、まるで、私を誘うために、わざわざ、声を掛けてくださったかのようでした。事実、彼は、最初の数回だけで、仕事が忙しくなり、来なくなってしまいました。
この無料講座は、ビザに関係なく、誰でも参加に自由できるクラスした。「勉強」という感じではなく、あくまでも「楽しみながら」が重視されていました。しかし、通常の英語学校の先生よりも、皆さん、とても早口でした。
というか、それが通常の話し方なのだと実感しました。英語学校の先生は、英語を母国語としない学生が理解できるように、はっきり、ゆっくり発音していたのでしょうね。確かに、日本語を母国語としない方に、日本語を話す時は、無意識にゆっくりと、はっきりと話して、まず、俗語は使いませんよね。
隠居された高齢者の方々が、生きがいのために、ボランティアで「Tutor(講師)」として参加していました。進行役の「Tutor(講師)」の他に、学生1人に他の「Tutor(講師)」が付いてサポートしてくれました。学生よりも、「Tutor(講師)」の方が多いこともありました。皆さん、とても優しく親切でした。
最初は、英語会話クラスだから、お気楽に構えていました。しかし、「Debate(討論)」のまねごとをしたり、グループで料理のレシピを作って発表したり、脳みそをフル稼働させないとついて行けないぐらいでした。
しかし、マンツーマンでサポートしてくださる「Tutor(講師)」のお陰でなんとかなりました。かつて、シドニーで通っていた英語学校の授業よりも、より実践的な内容で、Listening(リスニング)とSpeaking(スピーキング)のスキルを高めることができました。
また、ただ英語の勉強だけではなく、オーストラリアの生活を知る事が出来たり、地元の方々や他の国(ロシアや北欧や東南アジアなど)の方々と交流出来たり、とても貴重な体験でした。それまで、地元の方々と話をすることはありませんでした。
ある時、IELTS(アイエルツ)の話になり、何気なく、永住権を申請するため、もっとScore(スコア)上げなければならないことと、Writing(ライティング)のスキルを高めなければならないことを話しました。
ありがたいことに、2人の「Tutor(講師)」から、無償でEssay(エッセー)を添削してもらうことになりました。約1年間、毎週1回のペースでしたが、とても勉強になりました。徐々に赤字で訂正される箇所が少なくなっていきました。
ニュージーランドの専門学校に通っていた時、研究課題でEssay(エッセー)がありました。この時も、メールで添削してくださって、とても助かりました。本当にありがたいことだと思います。
2回目の受験の時は、ネットで、IELTS(アイエルツ)のGeneral(ジェネラル)用のWriting(ライティング)のひな形を見つけて、このフォームに合わせて、Essay(エッセー)も書きました。トピックは、ネットで過去の出題を検索しました。それを添削してもらい、ブラッシュアップさせました。
受験の直前は、添削済のEssay(エッセー)を空覚えするまで、何度も手書きしました。かつて、日本で技術士試験を受験する時、予想問題について書き上げ、通信教育で添削してもらったものを、何度も手書きで書いて、覚えた経験がありました。日本語と英語の違いはあっても、手順は全く同じでした。
この時、人生では、無駄な経験はしないものだと実感しました。大学で学んだ建築は、商業用厨房計画の時に役立ちました。また、社会人の時、統計データを処理したり、調査報告書をまとめたり、プレゼンテーションしたりした経験は、研究課題を仕上げる時に役立ちました。
2012年7月から、サンシャインコースト大学付属英語学校で、「Direct Entry English Pathway (Deep) Stage 1 / IELTS Preparation- program 1」を受講することになります。文字通り、このコースを修了すれば、IELTS(アイエルツ)のScore(スコア)を示さなくても、大学への入学が認められるコースで、IELTS(アイエルツ)対策も兼ねていました。
このコースは、Stage 1(ステージ1)とStage 2(ステージ2)に分かれていて、両方を修了すると、大学進学が認められます。ちなみに、私が修了したStage 1(ステージ1)は、高専や専門学校への入学が認められるレベルでした。
このコースへ入学する条件は、Academic(アカデミック)で「5.0」以上のScoreでした。私は、General(ジェネラル)で「5.5」のScoreしかありませんでしたが、入学が許可されました。
ちなみに、ニュージーランドの専門学校の入学条件も、同様に、Academic(アカデミック)「5.0」以上のScoreでした。この時は、General(ジェネラル)では認められず、校内試験を受験しなければなりませんでした。
筆記試験と電話による口頭試験でしたが、IELTSより、とても簡単で、拍子抜けしました。でも、後日、ニュージーランド移民局から、就学ビザの診査で、IELTSのScoreの提出を求められました。その時は、General(ジェネラル)の「5.5」のScoreでも受理されました。
もし、2012年5月にIELTSを受験して「5.5」のScoreを取っていなければ、サンシャインコースト大学付属の英語学校に通うこともできず、IELTSのScoreで証明できるまでは、ニュージーランドの就学ビザは下りなかったでしょう。
今から振り返ると、全てが絶妙なタイミングだったので、全ては、これも大いなる存在による導きだったのだと思えます。あまりにも、偶然があり過ぎますので。
サンシャインコースト大学付属の英語学校でも、ニュージーランドの専門学校でも、パワーポイントを使って、研究課題を発表する機会が何度もありました。もし、あの時、English Conversation Classes(英語会話クラス)の早口の英語に慣れていなければ、もっと大変な思いをしたかもしれません。
現在でも、「これが日本語だったら、もっと喋れるのに・・・」ともどかしいこともあります。しかし、家内にとっては、それで「十分」らしいです。なぜなら、日本語だと、余計なことまで、ベラベラとしゃべり過ぎるらしいのです。だから、現在、英語圏で生活しているのかもしれません。
以下に、当時書いた、English Essay(英語エッセー)の1つをご紹介します。
とても簡単な英語表現しか使っていないので、和訳を読むと小学生の作文みたいですが、英語に興味のある方はどうぞ。なお、かっこ内の和訳は、直訳すると不自然になってしまうので、極力、自然な日本語表現に変えてあります。
My first experience about Australia
(私の初めてのオーストラリアの経験:英語版)
※今から約10年前に書いた文章です。
It was more than 20 years ago when I first arrived in Australia.
(私が始めてオーストラリアへ行ったのは、今から20年以上前の事です。)
At first, I attended an English college in Sydney for 3 months.
(まず、3ヶ月間、シドニーの英語学校へ通いました。)
And I used to live with an Australian family in the northern part.
(そして、北部で暮らすオーストラリア人の家族と住んでいました。)
They had a son, who is the same age as me and who studied Japanese a little.
(私と同じ歳で、少し日本語を勉強している息子がいました。)
He took me to night clubs and movies sometimes.
(時々、彼はナイトクラブや映画に連れていってくれました。)
He lives in Gold Coast now.
(今、彼はゴールドコーストに住んでいます。)
During that time, I obtained a scuba diving certificate.
(その間、スクーバダイビングの認定を得ました。)
After that I bought a coach ticket around Australia and then started to travel anticlockwise for 3 months.
(その後、オーストラリア一周のバスチケットを買って、約3ヶ月間、逆時計回りで旅行を始めました。)
When I was in Brisbane, I missed the Sunshine Coast.
(ブリスベンに行った時は、サンシャインコーストは素通りしました。)
That is the reason that my travelling guide showed only things about Noosa, which is an expensive resort.
(なぜなら、私の旅行案内書には高級リゾートのヌーサだけが載っていたからです。)
So, I had never known Caloundra until my wife showed me before we married.
(そのため、カランドラは結婚前に家内が紹介してくれるまで知りませんでした。)
I enjoyed scuba diving at Great Barrier Reef.
(グレートバリアリーフではスクーバダイビングを楽しみました)
And I saw a small church near the beach in Port Douglas.
(そして、ポートダグラスではビーチ沿いにある小さな教会を見ました。)
At that time, I had no idea that I would be marred here in the future.
(その時、将来、自分がここで結婚するとは思いもしませんでした。)
From Perth to Adelaide, I rode the Indian Pacific.
(パースからアデレードまでインディアンパシフック号に乗りました。)
Also, I went to Tasmania and Kangaroo Island.
(それから、タスマニアやカンガルー島へも行きました。)
Back to Sydney I lived with the same family and attended an English college nearly another half year.
(シドニーに戻ってからは、同じ家族と住みながら、更に半年間近く、英語学校へ通いました。)
This experience made me change a lot.
(この経験は私を大きく変えました。)
In fact, I already had been to Western Europe and USA before that.
(実は、その前に、既に西ヨーロッパやアメリカ合衆国へ行ったことがありました。)
However, they were just package tours and for only a month.
(しかしながら、どちらも単にパッケージツアーで、しかも1ヶ月ほどでした。)
On the tours, I didn’t have to worry about transfer and accommodation, food etc.
(そのツアー中は、移動手段や宿泊場所、食事などの心配はありませんでした。)
However, while traveling just by myself, I had to take responsibility for myself.
(しかし、ひとりで旅行中は、全て自分で責任を負わなければなりませんでした。)
I grew confident myself through this experience.
(この経験を通じて、自分に対する自信が付きました。)
※ボランティアの「Tutor(講師)」の方に添削して頂いたので、英語文法的に完璧ではない事をご承知おき下さい。
今回は、IELTS(アイエルツ)のScore(スコア)がアップした実体験をご紹介しました。ことの流れで参加することになったEnglish Conversation Classes(英語会話クラス)は、その後の私の英語力に多大な影響を与えました。
これまで、様々な場所で、いろいろな方に出会い、その方々に助けられたお陰で、今の自分があることを忘れないようにしたいと思います。つい、喉元過ぎれば熱さを忘れるになりがちですね。
今回も最後までご覧いただきありがとうございます。
Tadashi
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