True-Story:私に多大な影響を与えたMaterChef Australia

Sydney(シドニー), NSW, Australia

今回は、私に多大な影響を与えたテレビ番組「MasterChef Australia(マスターシェフ・オーストラリア)」とその経緯をご紹介します。40代後半、シェフ兼パティシエへの転向を真剣に考えていた頃、私の背中を強力に後押してくれました。この時の体験も、単なる偶然ではなく、目には見えない神聖な存在が、私にでも分かるように導いてくださったのだと信じています。



この番組は、UK版の「MasterChef(マスターシェフ)」に基づいて、タイトルの通り、料理愛好家のアマチュア達が優勝を目指す料理ショー番組です。オーストラリア版は、2009年から始まりました。

それは、偶然にも、Brisbane(ブリスベン)からSunshine Coast(サンシャインコースト)のCaloundra(カランドラ)へ転居した年でした。その後、Auckland(オークランド)からHibiscus Coast(ハイビスカスコースト)のWhangaparaoa(ファンガパラオア)へ転居したので、パターンが似ています。

しかも、部屋からヤシの木が見えて、共用の屋外プールとテニスコート(両方とも1度も使ったことがないですが)があり、カウンター式キッチンで、浴室にバスタブまであり、周辺より家賃もお安いところも似ています。

話が逸れてしまいましたが、毎回の番組では、制限時間で、メインからデザートまで幅広いジャンルの品を、テキパキと、セミプロのような腕前で仕上げていくのです。時には、文章だけの数枚にも渡るレシピを見ながら、全く作ったことのない品に挑戦する時もありました。

のちに、自分がニュージーランドのカフェで、見たことも、食べたこともないスイーツを、英文だけのレシピ(A4一枚以内に収まるシンプルな内容でしたが)だけを頼りに、作ることになるとは、まだ知るよしもありませんでした。

グループ対決もあり、本人の実力だけでなく、運にも左右される内容になっていました。まさしく、「運も才能のうち」という感じです。また、対戦者同士でも、Aussie(オーストラリア人の愛称)が持っているMate Ship(仲間意識)が随所に感じられ、昔の「青春ドラマ」のようでもありました。

毎週、誰かが脱落していき、最後に残った人が優勝者となり、賞金や料理本を出版できる権利などを獲得します。優勝しなくても、番組中のキャラクターや手腕を買われて、著名人のようになる方々も少なくありませんでした。

放送は通年ではなく、数ヶ月間だけで、翌年に新しいシリーズが始まるようになっています。最初の頃は、特設スタジオがシドニーにあり、番組の合間にシドニーの美しい風景が映し出されていました。若い頃、長期滞在した街なので、とても懐かしい思いでした。

見ていて、ハラハラするので、最初の年は見ませんでした。なぜなら、学生時代、配膳のバイトをしていた時、ピリピリしている厨房を目の当たりにしていて、それがフラッシュバックするようだったからです。

たぶん、深層意識では「やってみたい」という気持ちがありながらも、表面意識は「自分には到底無理」と封印したかったのでしょうね。それは、自己信頼がなかったからに他なりません。いくら頭で「自分を信頼しなければ」と考えても、なかなか、できるものではありません。

しかし、当時、娯楽番組が少なかったオーストラリア(ニュージーランドは、更に少なかったですが・・・)で、翌年の第2弾から見始め、次第にのめり込み、最も好きなテレビ番組になっていました。楽しみながら、英語のリスニングの勉強になり、レシピも参考になり、お得感満載でした。

その頃、新米主夫の傍ら、自営でヒーリングを始めたり、ホームステイ型の癒しを提供したりする中で、家内以外の方々へ、食を提供する機会が増えました。素人だった私が作ったものを美味しそうに食べる姿を見ながら、自分が喜び満たされることに気づき始めていました。今では、この時の体験は、今世の自分には必須だったと思えます。

そして、この番組を見ながら、深層意識の「食の道に挑戦してみたい」が、具現化するための要因を引き寄せたように感じます。当時の私は、まさか、それがニュージーランドで実現されることになるとは思いもしませんでしたが・・・。

当時、放送時期をずらし、他の国のバージョンも放映されていました。しかし、個人的には、オーストラリア版が一番好きでした。オーストラリアで、私にこの番組を見せるために、オーストラリアに魅せられ、せっせと通い、暮らしたいと思わせたのかもしれません。もし、そうでなかったら、一生、封印されたままだったでしょう。

ありがたいことに、ニュージーランドでも、オーストラリア版が、数ヶ月遅れて放映されます。「Junior MasterChef Australia(子ども版)」や「MasterChef Australia: The Professionals(プロシェフ版)」の年もありました。

「MasterChef Australia: The Professionals(プロシェフ版)」は、丁度、私がニュージーランドの専門学校で、Diploma in International Cookery and Patisserie Level 5のコースを受講し始めた年でした。

当時、学生向けのアパートで、テレビが無い生活でしたが、授業の教材として、何度か録画ビデオを見ました。プロシェフ版は、とても参考になりました。

2012年に、新しい道を選びました。しかし、その時、自分が選んだ新しい道は、「本当にこれで良いのか」とか「ただの自分の思い込みではないか」と気になり、自問自答を繰り返していました。己を信頼できなかったので、仕方なかったと思います。

この年の番組の中で、それに対する答えを、当時の私でも分かりやすい形で示されたと感じました。なんだか背中を押されたような気がして、感動の涙が込みあげてきました。そして、あとは自分を信じて、前進あるのみだと思うになりました。

そして、やっと新しい道が開けた時の、心底からわき上がるワクワク感は、今でも鮮明に覚えています。入学許可を得るまでは、とてもスムーズでした。しかし、就学ビザを取得するまでは難儀でした。これについては、別の機会にご紹介します。

前置きが長くなりましたが、私の背中を押してくれた言葉とは、「If you want to change your career, it’s never too late. (職業を変えたいのなら、決して遅いことはない)」と「Impossible is nothing(不可能はない)」でした。


1.If you want to change your career, it’s never too late.

2012年版の番組の中で、オーストラリア⼈の有名シェフ「Christine Manfield」さんが、看護師のキャリアを捨て料理⼈の道を志そうとしていたContestant(挑戦者)へ語った内容です。正確に聞き取れていない箇所もありますのでご承知下さい。

If you want to change your career, it’s never too late. Follow your heart.

I mean I changed my career from teaching young child in up middle thirty to just take off flying form the cliff and just cooking because I really want what I want to do, so I am still on journey.

So if you want to do go throw, don’t let anyone away from that.

当時、ネット上で公開せれていた動画音声から文章化

意訳:

もし、職業を変えたいのなら、決して遅いことはありません。あなたの本⼼に従いなさい。

私は、30代半ば、崖の上から飛び降りるような心境で、⼩学校の教師から転職し、実際に料理を始めました。何故なら、それが本当にしたかったからです。そして、まだ、探求中です。

だから、もし、あなたがそれを望むのなら、誰もそれから揺り動かすことはできません。

※意訳も正確に和訳していませんので、あくまでもニュアンスをご理解頂ければと思います。

2.Impossible is nothing

同じく2012年版で、イタリアの有名シェフがゲスト審査員に加わった時がありました。番組の最後、彼が、Contestants(挑戦者達)へ話した言葉がとても心に響きました。それは「Impossible is nothing(不可能はない)」でした。この言葉は、自分が壁にぶち当たった時、先へ進む力を与えてくれました。

彼は、元弁護士で、父親の弁護士事務所に勤務していたそうです。そして、ある日、料理の道を志したのです。その後、2年間、弁護士の父親は、口を一切きいてくれなかったそうです。でも、彼は、シェフとして名をはせたのでした。実行した方の言葉に重みを感じます。

英語の文法的には、「impossible」は形容詞で、主語にはならないので、通常の語順は「Nothing is impossible」ですが、「impossible」を強調する場合、主語と補語が倒置されて、「Impossible is nothing」という語順になるようです。


この番組を通じて、教師から転向したシェフ、弁護士から転向したシェフ、そして、看護師からシェフを志そうとしている人の存在を知ったことは、私に大きな勇気を与えてくれました。

この時、父から「お前の歳では、遅すぎる」と言われました。でも、勘当されることはありませんでした。また、母は、私が一度決めたことは何があっても最後まで貫き通すことを分かっていたので、何も言いませんでした。

ありがたいことに、専門学校へ通っている時も、カフェで働いている時も、一度も年齢差別を受けたことはありませんでした。もし、私が若い頃、同級生や同僚の中に、高年齢者がいたとしたら、差別視をしていたかもしれません。

なぜなら、20代でシドニーの英語学校に通っていた時、30代半ばの同級生がいて、心の中で「今更、その歳で勉強してどうするの?」と差別的な気持ちを抱いていたからです。私は、30代半ばどころか、専門学校に通っていた時は40代後半、カフェで働き始めた時は50代前半でした。

専門学校のある同級生が「自分は、もう30代だから」と言うことがありました。私は、すかざず、「30代は、まだまだ若いよ。私は40代後半だから。」と言いました。当時の私は、眼鏡を掛けて、調理用の帽子をかぶっていると、30代ぐらいにしか見えなかったようで、私の実年齢を聞いて驚愕されました。

また、カフェで働いていた時も、フローや皿洗いのスタッフの中には、20代後半で、学校へ通うために辞める子もいました。その時も、「まだ遅くはない」と、彼らに夢と希望をもたらすことができました。

オーストラリアも、ニュージーランドも、一旦、社会人になった後、自分でお金を貯めて、大学で勉強する人は少なくないようです。オーストラリアで暮らしていた頃、現地で知り合ったAussieで、子どもが巣立った後、修士号を取得した女性がいました。親子3代で、同じ大学に通うことも普通のようです。

以上のことから、私が新しい道へ転向する上では、日本よりも、オーストラリアやニュージーランドの方が、やり易いから、そのように導かれたのかもしれません。今世、日本人男性として生まれたことは、とても誇りに思っています。しかし、本来の自分らしい自由な発想で人生を歩むためにも、このような体験が必要だったと思います。

今回は、私に多大な影響を与えたテレビ番組「MasterChef Australia(マスターシェフ・オーストラリア)」とその経緯をご紹介しました。

これまでの人生で、様々なことを経験しました。時には、表面意識が望まない方向へ進んだことも少なくありませんでした。しかし、このブログを通じて、人生の棚卸し作業をしていると、目には見えない神聖な存在が、常に、私にでも分かるように導いていることをありがたく感じます。

これからは、「この先、どうしよう?」と悩む暇があったら、目には見えない神聖な存在に全託して、今世の己に与えられた能力・才能を、自他のために発揮できるように祈りたいと思います。いくら悩んでも、自力だけではどうにもならない体験は十分にしましたので。

今回も最後までご覧いただきありがとうございます。

Tadashi

Tadashi

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