(※2020年4月10日に旧ブログへ掲載した記事を移転しました)
サティヤサイオーガニゼーションジャパンの「今日の御言葉」、facebook「サティヤ サイ ババの御言葉」に投稿されていた「愛と神」に関わる御言葉をご紹介します。
まずは、自分自身に「神の愛」をたくさん満たし、それを、「神の愛」を求めている方々にお分けすることで、さらなる「神の愛」が自分自身に注がれる仕組みなのですね。
ケチケチして、独り占めしているようでは、よどみ水のように「腐敗」するため、滝のようにふんだんに流れ込んだ「神の愛」は、どんどん、周りにあふれ出さなければならないのですね。
そうすれば、常に、自分の中に満たされる「神の愛」は、清らかな状態を保ち、かつ、枯渇することもないわけですね。ある意味、全て自分の為になるような仕組みですね。
自分の中に満たされた「神の愛」が、たくさん溢れ出し、広がるよう、焦らず、慌てず、諦めず、最善を尽くしたいと思いました。それが、生かされている者の権利であり、義務なのだと思います。これに基づいた言動を心がけていれば、世の中がどのような状況にあったとしても、常に「幸せ」でいられるのですね。
表面的に「いい人」ぶっても、本当に長続きしないものです。他者から嫌な言動を受けた時は、同じ次元で怒りを返すのではなく、過去(すっかり忘れている過去世も含め)の自分の言動が戻ってきただけと考え、「ああ、この方は、神の愛を必要としているのだ」と思いながら、笑顔で自分の中に滝のように降り注ぐ「神の愛」をお分けし続ければ、やがて、相手にも「神の愛」が満たされて、自分自身も快適に過ごせるようになるものですね。
事実、職場で他の部門の見知らぬスタッフへ笑顔で挨拶しても、当初は、無表情&無言の場合が多々でした。しかし、徐々に、笑顔で挨拶を返してくれるスタッフが増えてきました。やっぱり、誰でも、見知らぬ人には、無表情&無言になりがちですから・・・。
以前、常に、笑顔や誠実で相手に対応することが、「神の愛」を相手にお分けできる方法だと教わったので、実行しています。しかし、つい、心が狭くなってしまう(特に身内に対して)自分も認め、許し、愛するようにしつつ・・・。
そんなに簡単に出来ていたら、今頃まで人間をやっていないですからね。でも、「自分には無理!」と決めつけて実行しないのと、「必ず自分はできる」と信じて実行し続けるのでは、未来は大きく違ってくるのだと思います。
霊性の旅路には、愛という唯一の王道があるのみです。
唯一の神の現れである万物に対する愛です。その唯一の神は、また、私たちの自己の中核でもあります。
人間がこの地球での生命をまっとうするには、
自分自身を神の愛で満たし、
その愛を神の化身である人間への奉仕に変えなければなりません。― サティヤ サイ ババ
セヴァ 真のボランティア P79編集︓サティヤサイ出版協会
発行︓サティヤサイオーガニゼーションジャパン
愛は神です。すべてを愛しなさい。
愛が欠けている人々にも、あなたの愛を分け与えなさい。愛は航海士にとっての羅針盤のようなものです。
愛があれば、あなたがどこにいようとも、それは神への道を示します。日常生活におけるすべての行為の中に、あなたの愛が現れます。
その愛から神が現れるでしょう。
これが神を実感認識する最も容易な道です。しかし人々はなぜそれを受け入れないのでしょうか?
神を体験する方法に関する思い込みがあるからです。
彼らは、厳しい霊性修行によってのみ到達できる遠く離れた実在を神と見なします。神はあらゆるところにいます。神を探す必要はありません。
あなたの目に映るすべては神の顕現です。
あなたが出会う人間すべてが神の御姿です。欠陥のあるあなたの物の見方を正しなさい。
そうすれば、万物の中にある神を体験するでしょう。愛を込めて話し、愛を込めて行動し、愛を込めて考えなさい。
愛に満たされたハートで、あらゆる行為に取り組みなさい。―1996年7月5日の御講話
「私」や「私のもの」に付着する小さな種子である愛を育て、
それをあなたの周囲の人々への愛へと芽吹かせなさい。それから、それを全人類への愛へと成長させ、
その枝を動物や鳥や地を這う生き物へと伸ばし、
その愛にすべての世界のすべての生物と無生物を包み込ませなさい。少ない愛から多くの愛へ、狭い愛から広がる愛へと進んでいきなさい。
―1975年7月23日の御講話
[参考ブログ]Song:God is Love(神は愛) – youtube動画(英語歌詞付) + 和訳歌詞(一部)
今回も最後までご覧いただきありがとうございます。
Tadashi
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