Truth:神は万人の中に存在する?

Whangaparāoa(ワンガパラオア), Auckland, New Zealand

(※2020年4月15日に旧ブログへ掲載した記事を移転しました)

facebook「サティヤ サイ ババの御言葉」から「万人の中に神が存在し、他者を批判すれば、神を批判することになる」という真理をご紹介します。

いくら頭で分かったつもりになっていても、己の未熟さ故に、相手の表面的なことに惑わされ、「この人の中に神が存在する」と思えない場合も多々です。また、神は、人間が造った建物の中ではなく、神が造った人間に宿るのだそうですね。

正直なところ、それまでの自分は、自己信頼や信仰心が無くても、なんとかなっていました・・・。神は、各々が望む姿になって現れてくださるそうなので、キリストでも、仏陀でも、アラーでも、山でも、大木でも、岩でも、その方が信じるものを崇拝すればいいのですよね。

それから、誰かを批判したくなるのは、自分の思い通りにならない時が多いと痛感しています(何でも自分の思い通りになったら、自分の魂の成長が阻害され、折角の人生の時間を無駄遣いすることになるにも拘わらず・・・)。

己の未熟さを省みるよりも、行政や会社、親、配偶者、友人を批判し、自分の思い通りに変えようとしている方が、自分を変えるより楽なものです。でも、そうしている限り、どんどん、自分自身が辛くなるものですね・・・。


facebook「サティヤ サイ ババの御言葉」(2020年4月12日 17:00)から引用

万人の中に神は存在します。
神はすべてのハートの中に棲んでいます。

ですから、寺院やモスクや教会の中に神を限定してはなりません。
人間がいるところに神がいるのです。

神は人間の姿をしています(ダイヴァム マーヌシャ ルーペーナ)。
この重要な事実を忘れ、理解しないまま、あなたは他人を批判することに夢中になっています。

あなたは誰を批判しているのですか?
あなたは誰を崇めているのですか?
自分自身に聞いてごらんなさい。
万人の中に神が存在するのです。

あなたが他の人を批判するのであれば、あなたは神を批判しているのです。

あなたが誰に手を合わそうとも、それは神に届きます(サルヴァ ジーヴァ ナマスカーラム ケーシャヴァム プラティガッチャティ)。

あなたが誰かを侮辱したり嘲笑したりすれば、それも神に届くのです(サルヴァ ジーヴァ ティラスカーラム ケーシャヴァム プラティガッチャティ)!

今この瞬間から、悪い考えと邪悪な資質を手放して、新しい人生を始めなさい。
あなたのハートを清めなさい。

あなたの思い、言葉、行動を神聖なものにしましょう。
そうして初めて、あなたの人生は至福に満ちたものとなるでしょう。

―2002年4月13日の御講話


サティヤサイオーガニゼーションジャパンによる「今日の御言葉」(2020年4月10日)から引用

私の愛しい息子たち!
私の祝福と愛を受け取りなさい。

たとえ試みがすべて失敗に終わり、
嘆き悲しみ⼼が張り裂けたとしても、
そのあらゆる状況の中で、
私たちはハートを守らねばなりません。

このようないかなる困難の只中にいたとしても、
⾃分が神であることを主張しなければなりません。

私たちの性質は、やり返すこと、
つまり殴られたら殴り、騙されたら騙し、
嘘をつかれたら嘘をつき返し、
全力で仕返しすることを私たちに望みます。

それゆえ、仕返しをせず、⾃⼰を制し、
無執着でいるためには、
至高なる神の⼒が必要となるのです。

― サティヤ サイ ババ

プレーマダーラ 愛の流れ P35
編集︓サティヤサイ出版協会
発行︓サティヤサイオーガニゼーションジャパン


大いなる存在が、魂を成長させる体験から外れていることを教えてくださっていたにも拘わらず、「自分はこんなに頑張っているのに・・・」と、「我が、我が、我が・・・」と、無私とはほど遠い状態になっていることにも気づきませんでした。

⾼江洲薫先⽣から教えて頂いた自分の過去世(9世代分)で、「試みがすべて失敗に終わり、嘆き悲しみ⼼が張り裂けた」は、幾度となく体験したことを知りました(正確には「思い出した」ですね)。確かに、仕返しをしようとして、いつも手痛い体験を繰り返し・・・。

なぜなら、以前にご紹介したように、9世代前の過去世で、自己信頼と信仰心を失う体験をしていたので、「仕返しをせず、⾃⼰を制し、無執着でいるため必要な至高なる神の⼒」を得られなかったのだと・・・。

以前にもご紹介しましたが、今から14年前、⾼江洲薫先⽣による過去世リーディング(1世代前~3世代前)のセッションを受け、今世の私の言霊「私は恨みと悲しみの人生を終了して、愛と喜びをもたらす道を歩みます」を教えて頂きました。この言霊を暗記するほど、毎日のように唱えていました。

その2年後、日本を離れてオーストラリアで暮らすようになりました。特に、7年前にニュージーランドへ移ってから、以前にも増して、自力ではどうにもならないように思える状況に追い込まれました。「わらをもつかみたい」一心で、いつもご紹介している「5項目(自己信頼、信仰心、無私、全託、自愛)」を知り、現実生活の中で実践せざるを得ない日々でした。

ようやく、最近になって、「恨みと悲しみの人生」は、もう十分に体験したから終了し、「愛と喜びをもたらす道」へ進みたいと願うようになりました。その道とは、以下のようなことだと思うようになりました。

  • まずは、神の愛を己に十分に満たし、かつ、己の狭い枠を広げ、より多くの神の愛を受け取れるようになること。
  • 次に、それを周りにもたらし、自分と周りが愛と喜び満たされること。
  • それが、自分自身のためにもなり、周りのためにもなること。

COVID-19(新型コロナウイルス感染症)は、強制的に人々の言動をPrema(プレマ:サンスクリット語で「神聖なる愛」)の時代に即したものに変えるためにあるのだと感じます。逆に言えば、今、自分の言動をPrem(プレマ)の時代に則したものに変える努力を続けていれば、更に神の恩寵を受けられ、守られるのだと思います。

これからの世の中、「自分さえ良ければいい」という利己主義は通用しないのかもしれませんね。一方で、自己犠牲も長続きしません。まずは、自分自身に神の愛を満たした上で、周りにもたらすという手順が不可欠のように感じます。

周りが神の愛に満たされれば、自分も居心地がいいわけですから、大いなる存在からの手助けを受けやすい「自分のためにもなり、周りのためにもなり、神も喜ぶこと」になるわけですね。

今回も最後までご覧いただきありがとうございます。

Tadashi


Tadashi

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