Truth:他者を変えようとする前に己が変われ?

Auckland(オークランド), New Zealand

(※2020年6月23日に旧ブログへ掲載した記事を移転しました)

facebookの「サティヤ サイ ババの御言葉」に投稿されていた「他者を変えようとする前に己が変われ」という御言葉を紹介させていただきます。

誰かを嫌ったり、憎んだり、こきおろしたり、軽蔑したりすることは、結局、自分自身をそのように扱っているということになるから、「愚か者」なのですね。しかし、世の中、様々な価値観が存在し、相手も自分自身だとは、なかなか思えません。だからこそ、その中から、同一性を見出す努力が必要というわけですね。

同一性とは、全ての魂に内在する「愛(=神)」だと思います。それぞれの違いを取り除いたら、「愛(=神)」しか残りませんから・・・。互いに共通する「愛(=神)」だけを見ていれば、常に幸せでいられます。

しかし、互いの違いにばかりに目を奪われると平安を乱されるものですね。まずは、頭で理解した上で、繰り返し練習する体験をしなければ、魂まで響かないものだと思います。


facebookの「サティヤ サイ ババの御言葉」(2020年5月30日)から引用

ヴィッディヤーは、まず自分自身を思い出すようにとあなたに教えます。

あなた自身を変えてから、他人を変えようと試みなさい。
これはヴィッディヤーのアドバイスです。

客体世界に対する、人を惑わす執着は、主への礼拝として行う無私の奉仕によって根こそぎにすることができます。

母国への献身、母国への愛――これらは全人類に向けられる愛や献身よりもはるかに少ないと勘定すべきです。

純然たるバクティ〔神への愛〕(信愛)は、
すべての時、すべての場所の、すべての人への愛によって特徴づけられます。

自然の特徴は「多として現れる」ことです。
神の特徴は「⼀なるものへと同化させる」ことです。

ですから、人を嫌ったり憎んだり、こきおろしたり軽蔑したりする人は、本当に愚か者です。

というのも、そのようにして嫌い、憎み、こきおろし、軽蔑している相手は自分自身だからです!
けれども、人々はこの事実を知りません。

ヴィッディヤーは、人にこの事実に立脚して内在する神性を示すようにと教えます。

―光を照らす知識の流れ ヴィッディヤーヴァーヒニー 第8章


今回も最後までご覧いただきありがとうございます。

Tadashi


Tadashi

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