(※2020年7月17日に旧ブログへ掲載した記事を移転しました)
サティヤサイオーガニゼーションジャパンによる「今日の御言葉」の中にあった「他者を責めたり軽蔑すれば自分も責められたり軽蔑される」という内容をご紹介します。全ては、因果応報なのですね。
しかし、自分がしたことは忘れて、されたことだけは忘れないものです。かつて、他者を責たり軽蔑したりする言葉を多用していた気がします。そして、自らが責められた時は、そのことをすっかり忘れて「自分は何も悪くないのに。。。」と憤慨していたような。。。
つい、自分の思い通りにならないと、不機嫌で苛立った言動になりがちです。自分だけでなく、周りまでも不幸へ導いていたのですね。。。
確かに、喜びあふれた会話は、自分だけでなく、周りも幸せに感じますよね。神の愛をもたらすとは、このようなことの繰り返しなのですね。
もし会話の中で、⼈を責める⾔葉や軽蔑する⾔葉を使うなら、
次はあなたが責められる標的となり、その両⽅の影響によって、あなたの⼼はかき乱れ、
そうなると、空気が不浄のものとなり、
そのせいで、坐禅(ディヤーナ)の⽬的は達成されません。ですから、もしあなたが坐禅(ディヤーナ)を通じて、
幸せになりたいと本当に願っているのなら、そのプロセスの準備段階として、
喜びにあふれて会話をするか、幸せな想いや記憶に浸るよう⼼がけなさい。
⽢美で穏やかな会話は、⼤いに坐禅(ディヤーナ)の助けとなります。― サティヤ サイ ババ 坐禅の源流 P100
編集︓サティヤサイ出版協会
発行︓サティヤサイオーガニゼーションジャパン
世の中、全て自分の思い通りになったら、自分の魂が成長する機会を失い、結局は、自分自身が損失を被ることを忘れないようにします。少し前の自分には皆無の発想ですが。。。
今でも、自分の思い通りにならないと苛つく性質は根強く残っています。しかし、苛ついた瞬間、「自分が未熟だから、こんなことで苛ついているのだ亅と思い出し、怒りの奴隷になり下がらないように注意しています。
何事も、焦らず、慌てず、諦めずに、反復練習するしかないですね。もうそろそろ、自分の発した怒りで自分が焦げる体験は終了したいですから。。。
今回も最後までご覧いただきありがとうございます。
Tadashi
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