当時、暮らしていたオーストラリアから、ニュージーランドでシェフ・パティシエとなるための海外留学で、ビザ申請が大変だった体験をご紹介します。最後は、ニュージーランド移民局(シドニー支部)へ、Complain letter(苦情文)まで送りました。
もし、私が、日本からビザを申請していれば、ここまで大変な思いはしないで済んでようでした。またしても、大いなる存在が、私に体験させたかったことだったと、今では考えることができます。
以下のブログ記事はで、英語で電話した大変談をご紹介しました。しかし、その時よりも、この時は、通話する場所やその内容の緊急性も含めて、とても難易度が高まり、私の真剣度も異なりました。
当時、Complain Letter(苦情文)は書き慣れていました。なぜなら、日常生活で、頻繁に苦情メールを書いていたからです。それに加え、IELTS(アイエルツ)のGeneral Training(ジェネラルトレーニング)のWriting Task 1(ライティングタスク1)は手紙で、更にそのスキルを向上させてくれて、無駄な体験は皆無でした。
IELTS(アイエルツ)の受験対策で、英語力を向上させた内容は、以下のブログをご参照ください。
言い方を変えれば、IELTS(アイエルツ)のGeneral Training(ジェネラルトレーニング)で試験される内容は、英語圏で生活する上では必須スキルだと感じます。いざという時、頼れるのは自分だけですからね。
私はオーストラリアに4年近くも暮らしていたので、当初、ニュージーランド移民局の担当者は、私がオーストラリアの永住権保持者だと思ったようでした。だから、何でわざわざ、ニュージーランドの就学ビザを申請するのか、全く理解できなかったようです。
なぜなら、オーストラリアの永住権保持者は、オーストラリアの国籍保持者と同様に、ニュージーランドに入国した時点で、居住・就労・就学の権利が自動的に得られるからです。残念ながら、この逆は、ニュージーランド国籍保持者のみです。
そして、家内がRN(Registered Nurse:登録看護師、日本の正看護師に相当)なのに(しかも、オーストラリアとニュージーランドの両方)、なぜ私が、わざわざ、ニュージーランドの就学ビザを申請するのか理解できなかったようです。もし、これを日本語で説明したとしても、理解されることは希だったと思います。
丁度、その頃、サンシャインコースト大学付属英語学校で、「Direct Entry English Pathway (Deep) Stage 1 / IELTS Preparation- program 1」というコースを受けていました。大学進学のためのコースでしたが、IELTS(アイエルツ)対策も兼ねていたので、受講していました。
当時、コースに付いていくだけでも大変でした。毎日のように試験があり、いつも、私だけが最後ま居残りでした。他の学生達は、制限時間よりも前に、さっさっと仕上げ、教室から出て行ってしまいます。相当なプレッシャーでした。
その時のクラスメートは、大半がヨーロッパ人で、私の他にもアジア人が数人しましたが、殆どが20代前半の若者達でした。しかし、50歳を目前に食の道へ進もうとしていた私を、「遅くはない」と、とても暖かく応援してくれました。
以前に毎週通っていたEnglish Conversation Classes(英語会話クラス)でも、容易ではありませんでしたが。当時の私には、更に困難に感じました。大学へ入学するためのコースですから、当然と言えば当然ですね。
家内は修士号を取得しながら、看護師登録のためにIELTS(アイエルツ)の受験対策も同時に行っていました。要求されていたスコアは全ての項目で7.0以上でした。私がこのコースに通っていた時より、遙かにストレス度が高かったに違いありません。
しかも、自分だけでなく、夫まで、日本の生活をなげうって、オーストラリアまで来てしまっているのですから。この時の家内の気持ちを理解するためにも、大いなる存在は、私に体験させたかったのでしょうね。
私でも乗り越えられるように、家内の時よりも難易度は低くして・・・。それでも、当時の私にとっては、毎日が死にもの狂いでした。でも、絶対に、何があっても最後まで諦めたくはなかったのです。
話を戻しますが、その帰り道、バスに乗車中、頻繁にニュージーランド移民局の担当者から、私の携帯電話へ着信がありました。授業の後で疲労困憊した中、バスの走行音に加え、電波が安定しない通話は、とても聞こえ難く、相当に困難に感じました。
しかも、やっと1つクリアすると、また、別の件で連絡が入るのです。1時間に1本のバスだったので、途中で下車して通話するわけにもいきませんでした。
ある時、移民局の担当者から、IELTS(アイエルツ)のScore(スコア)を提出するように言われました。私は専門学校の校内試験を受け、入学許可を得ていたにも拘わらず、今更、これが必要になるとは、夢にも思いませんでした。
提出する書類は、全てCertified copy(認証コピー)でなければなりませんでした。これは、有資格者が原本と相違ないことを署名したもので、幸い、近所の図書館では無料で作成できました。
IELTS(アイエルツ)のScore(スコア)をCertified copy(認証コピー)にして、郵送して、やれやれと思っていると、また、次の電話が掛かってきました。その次は、Bank Statement(口座取引明細書)の提出でした。
これも、就学ビザを申請する際、残高証明書を提出していました。しかし、その担当者は、お金の出入りを確認したかったようです。これも、Certified copy(認証コピー)を作成して、郵送しました。
このようなことが何度も繰り返され、1度は、シドニー支部まで出頭を求められました。当時、自分の就学ビザでオーストラリアに滞在していたので、学校を休めば、場合によっては、ビザを取り消される恐れもありした。
もし、ブリスベンに在ったら、日帰りで行けました。シドニーまでは厳しいです。このような事情を、音声状態があまり良くない携帯電話で、しかも、バスの中で、何度も説明を繰り返す必要がありました。
その年の7月頃に入学許可が出ましたが、9月に入っても、まだ、就学ビザは下りませんでした。ある時、意をけっし、なぜニュージーランドで留学する必要があるのかを、まるでエッセイのように書き上げて、郵送しました。
当時のコース中、何回も課題でエッセイを書く練習を繰り返していました。その前も、図書館で開催されていた無料の英語会話教室でお世話になっていた2人のボランティア「Tutor(講師)」から、特別にエッセイの添削を受けていました。
その内容はつぎのような内容でした。オーストラリアで主夫をしながら、料理・製菓・製パンを学ぶことは、10代の夢の1つだったと思い出したこと。海外で暮らすことも、20代の夢だったこと。当時、ニュージーランドなら、シェフとして永住する道が開かれていることなどでした。
その後、すぐにビザが下りたので、やっと私の気持ちを理解して貰えたのだと思います。丁度、オーストラリアの就学ビザが10月末には切れることになっていていました。たぶん、私の本気度を、大いなる存在が確かめたのだと思います。
実際、ニュージーランドにおける就学も、就労も、決して、生易しいことではありませんでした。もし、もう1度やれと言われたら、絶対に拒否するでしょうね。そのぐらいに、「もう十分に体験した」と感じました。だから、若い頃に戻りたくはありません。
これらの体験は、私が周りからの助けを借りながら、それに心底感謝し、1つ1つクリアすることで、己に対する自己信頼と信仰心を取り戻し、全託する人生を歩むように仕向けるためにあったように感じます。
当時、シェフやパティシエには、Academic English(学術英語)は不要と決めつけ、なぜこのような体験をしなければならないのか、全く理解できませんでした。しかし、実際に、ニュージーランドで専門学校に通い始めて、この考えは間違っていたと気づかされることになります。
今では、人生で体験する全てのことは、大いなる存在が、私に体験させたいことなのだと考えられるようになりました。表面意識が望むことと、大いなる存在からの恩寵との間には、大きな違いがあるのですね。
当時、暮らしていたオーストラリアから、ニュージーランドでシェフ・パティシエとなるための海外留学で、ビザ申請が大変だった体験をご紹介しました。
今回も最後までご覧いただきありがとうございます。
Tadashi
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