今回は、「夫婦は同じチームで競争相手ではない」という某テレビ番組の要約やダライ・ラマ法王14世の御言葉などに基づき、私の実体験をご紹介します。
随分前になりますが、ニュージーランドの「Hope channel(ホープ・チャンネル:キリスト教徒向け専用テレビ局)」で見た「Real family talk(リアル・ファミリー・トーク)」という対談番組の内容をご紹介します。その時の題材は「夫婦は同じチーム・メイトで、競争相手ではない」でした。要約すると以下の通りでした。
これを見ながら、オーストラリアで家内と一緒に暮らしていた日々を回想し、耳が痛い思いでした。少しでも自分の価値観と異なると、「味方」が「敵」に寝返ったような心境になっていましたので・・・。
以前、Brisbane Botanic Gardens(ブリスベン植物園)にある「Riverstage」という屋外ステージで開催された「The Brisbane Public Conversation(ブリスベン公開対話) with the Dalai Lama(ダライ・ラマ)」に参加する機会がありました。
その時、「Enemy is a teacher.(敵は先生)」という話がとても心に残っています。これは、様々な困難は、それを乗り越えることによって、精神性が高まるという意味でした。その時、家内と一緒でしたが、お互いの顔を見合わせて苦笑いしてしまいました。
自らの意思で夫婦となりましたので、敵であるはずがありません。もし、互いの価値観が大きく乖離していたら、誰も結婚しようとは思いませんね。しかし、当時、些細な価値観の違いが原因で、口論に発展することもありました。配偶者は、己の魂を成長させるために必要な「先生」と捉えると、また違った感覚になるので不思議ですね。だから、「結婚生活は精神修業」とも言えるのかもしれません。
家内の卒業式で、私が流した涙は、「同じチーム・メイト」として、夫婦の「初勝利」が嬉しかったのでしょう。それから、ニュージーランドの永住権を取得できたことも、同じチームとして協力し合った結果です。自分だけでは、成し得なかったでしょう。
それから、「Love(愛・愛情)」と「Attachment(愛着・愛情)」は、両方とも「愛情」とも訳されますが、上記の講演の中で、その違いについて、次のような説明がありました(当時の私の英語力の関係で、100%正確ではないかもしれませんのでご了承ください)。
以上を踏まえると、「Love」と「Attachment」の違いは、次のようにまとめられます。
自分の中にある「Attachment」を少しでも「Love」へ拡大するため、今世の自分には、夫婦としての体験が必要だったと思います。お陰様で、私の精神年齢は、急ピッチで、実年齢に近づいているように感じます。独身の頃は、今よりも、もっと幼かったと反省しています。独身でも精神年齢が高い方が羨ましく思います。たぶん、過去世の回数と体験が違うのですね。
以前、アルケミストのカウンセリングを受けた際、高江洲薫先生から、「あなた達夫婦は、二隻の舟だから、お互いをうまく生かし合うべきだ。」と言われました。
その頃、偶然、YouTubeで中島みゆきさんの「二隻の舟」を知りました。この歌詞の一節で、以下の部分は特に心に響きました。
「♪・・・おまえとわたしは たとえば二隻の舟
暗い海を渡ってゆく ひとつひとつの舟
互いの姿は波に隔てられても 同じ歌を歌いながらゆく 二隻の舟・・・♪」
「♪・・・わたしたちは二隻の舟 ひとつずつの そしてひとつの・・・♪」
(歌詞:二隻の舟から一部引用)
「夫婦は一隻の舟」だと決めつけていたので、当時は、かなりショックでした。なぜなら、遠距離恋愛、遠距離結婚の末、やっと一緒に暮らし始め、「これからは、いつも一緒で、決して、離れることはない。」と確信していましたから。でも、視点を変えれば、一隻の舟より二隻の舟の方が安定して航行できます。そして、「航行中」は、別々の舟でも、時には、島へ上陸して一緒に休めば良いわけです。
今世の我々夫婦は、過去世で協力し合えなかった兄弟の関係のやり直しです。そのため、今世は、夫婦という関係を選び、お互いの存在なくして、自分の夢や希望は実現出来ないような状況を選んで、今世、生まれてきたのだと思います。
「夫婦で共通する夢と目標を達成すること」が目的だと考えていた時期がありました。しかし、それは、単なる一手段で、本来の目的は、「どんな状況でも、自分自身と互いを信頼し、協力し合う」ことだったのですね。
だから、今は、日本とニュージーランドに離れた状況でも「本来の目的」を果たせるかどうかを試されているのでしょう。永住権が確定するまでの2年間、家内と一緒にこちらで生活しました。実は、その後、家内が日本へ戻る状況となった時、自分の中で、裏切られたような心境でした。
これは、オーストラリアから、家内が日本へ戻り、私だけニュージーランドへ来た時と似たような心境でした。これは、自分の中の「夫婦は常に一緒にいるもの」という固定概念に縛られて、「本来の目的」を忘れていたからです。
これまで、お互いの持ち場で、その時に応じた役割を果たしてきました。新型コロナの影響で、自由な往来ができなくなった時、家内が日本で生活してくれていたお陰で、母が病に伏し、他界するまでの間、私の代わりに、頻繁に母へヒーリングを施してくれたり、葬儀に参列し、私がネットを通じて「参列」できるようにしてくれたりなど、様々なことをしてくれました。
以前は、年に数回、家内がこちらへ来て、年に1回、私が日本に帰っていました。しかし、新型コロナが流行して以降、状況が全く変わってしまいました。それでも、永住権を取得していたので、母の墓参りのために、1度、帰ることができました。
もし、就労ビザのままだったら、出国したら、再入国できませんでした。こちらには、もう2年以上も、家族離散の状況にある方達がたくさんいます。しかし、それも今年の後半には解消される見込みです。
実は、私がWhangaparoa(ファンガパラオア)へ転居してから、家内が一度だけ、こちらに来る機会がありました。彼女は、大自然に囲まれた居住環境をとても気に入り、今後は、もっとニュージーランドで暮らす時間を増やしたいと語っていた矢先でした。
Stay Home(ステイ・ホーム)の真の意味は、「自分を見つめ、本当の自分に気づく、即ち、自己の神聖さに気づくこと」だそうですね。真の愛(宗教でいう「神」)は、人々に気づかせるため、今の状況を作っているとは、奥が深いと感じています。
多くの方が、自己の神聖さに気づけた時、今の状況が収束するのでしょうね。ただ単に西洋医学だけでは限界があるのだと思います。実際、ヒーリングを習得したお医者さん方は、エネルギー(氣)治療を始めています。獣医師の高江洲薫先生が、動物達にエネルギー(氣)治療を施していることと同様に。
ここでご紹介した様々な実体験は、今振り返ると、ハイヤーセルフが私に伝えたかったメッセージだったのだと思えます。
今回も最後までご覧いただきありがとうございます。
Tadashi
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