(※2017年11月15日に旧ブログへ掲載した記事を移転しました)
昨日、帰宅後、「全託」という言葉が頭に浮かび、インターネットで、シュリ サティヤ サイ オーガニゼーションに掲載されていた「全託の祈り」を見つけました。
昨日と一昨日は、自分でなんとかしようとしていたので、神からの完全な助けが得られなかったのだと分かりました。全託することを待ってくださっていると知り、今日は、最大限、全てをお任せするように心がけました。
今週は、月曜から水曜まで、3日間、単独で厨房を切り盛りしなければなりませんでした。先週までよりも難易度が上がった感じがしました。
結果、今日は、一度に何枚もの注文伝票が殺到することもなく、同じ忙しさでも、対応しやすい状況でした。これからも、自分だけでなんとかしようとは思わず、完全に頼り切れるように努力したいと思いました。
それから、いつも神の両腕に抱えられていると思えば、どんな状況でも、不安や恐怖から解放され、不変の平安を手に入れられるのかもしれませんね。
今晩も、感謝してから就寝したいと思います。
なぜ心を騒がすのですか? あなたのすべての問題を、私に解決させなさい。それらの問題について考えるのは、この私です。
私がひたすら待っているのは、あなたが私に全託することだけです。そうすれば、今後、あなたは、どんなことに関してもまったく心配する必要がなくなります。あなたのいっさいの恐れや落胆に別れを告げなさい。
全託とは、あなたの思いを問題から引き離すことです。困難や悩みから思いを引き離すことです。あらゆることを私の手に委ねて、「主よ、あなたの御心が行われますように」 と言いなさい。
それはつまり、「神様、あなたがすべてを御手にお引き取り下さって、私にとって一番よいように解決して下さることを感謝します」と祈ることです。
結果について考えるのは、全託の反対であることを覚えておきなさい。つまり、何らかの状況があなたの望む結果になっていないと言って心配するのは、あなたに対する私の愛をあなたが信じていない証拠です。
決して、「これはどうなってしまうのだろうか?…何が起きるのだろうか?」などと考えてはなりません。
あなたは私にそれを処理してほしいのですか? イエスですか? ノーですか?イエスであれば、あなたはそれについて心配するのをやめなければなりません!
たとえ私が、あなたの期待とは違う道にあなたを導かなければならなかったとしても、「私があなたを両腕に抱えている」のであることを覚えておきなさい。
あなたを深刻に悩ませるものは、あなたの理性的思考であり、あなたの不安であり、あなたの強迫観念であり、いかなる代償を払ってでも自分のことは自分でしようとするあなたの意志なのです。
そんなに悩むことはありません。悩む代わりに、たとえ悲しい状況の中でも、こう祈りなさい。
「神様、この問題を、この困窮をお与え下さったあなたを讃えます。どうか、この束の間の一生を、御心のままにお計らい下さい。あなたは、私にとって何が最善かを非常によく御存知です。」
災難が減るどころか増えるばかりだと感じる時もあるでしょう。動揺してはなりません。眼を閉じて、信ずる心で私に言いなさい。「あなたの御心が行われますように。その問題は、どうぞあなたが考えて下さい。」
そうすれば、必要なら私が奇跡を起こします。私はいつもあなたを思っていますが、あなたが完全に私に頼り切る時にしか、私はあなたを完全に助けることはできないのです。
- サティヤ サイ ババ
全託の祈り(プラシャーンティ ニラヤムのウエスタン キャンティーンのボードの御言葉)から全文引用
全ての重荷を神へ転換し、全てのことを神の意思に任せて、あなたの頭から重荷を取り除きなさい。そうすれば、心の平安を手にすることができるでしょう。
(以下、原文)
Sri Sathya Sai Sadhana Trust, Publications Division
[Sathya Sai’s Message for the Day: December 24]
Remove the weight from your head by transforming all burdens to the Lord; leave everything to His Will; then you will have the peace of mind.
もし、自我をやめ、神に身を任せるのなら、神があなたを導き、守るでしょう。
(以下、原文)
Sri Sathya Sai Sadhana Trust, Publications Division
[Sathya Sai’s Message for the Day: March 25]
If you give up ego and surrender to the Lord, He will guide you and guard you.
我々の心を完全に神へ任せさえすれば、神は様々な方法で我々の面倒をみるでしょう。
(以下、原文)
Sri Sathya Sai Sadhana Trust, Publications Division
[Sathya Sai’s Message for the Day: March 28]
Once we surrender our mind to God completely, He will take care of us in every way.
シャラナーガティ(無条件の全託)は、解脱(ムクティ)という大きな家に入るための正門です。
サティヤ サイ ババ サイラムニュース P26
編集:サティヤサイ出版協会
発⾏:サティヤサイオーガニゼーションジャパン
期待していた通りの結果にならなくても、ぐらついてはなりません。
サティヤ サイ ババ サイの理想 P175
一切何も期待せず、神にすべてを委ねなさい。
編集:サティヤ サイ 出版協会
発行:サティヤ サイ オーガニゼーション ジャパン
全託の道は、すべての重荷を母猫に背負わせて、自分は1か所でミャーミャー鳴くだけの子猫のような生き方(マル ジャラ キショーラ ニャーヤ)です。
その帰依者は、同じように、神を完全に信頼しています。完全に神に頼り切るのです。
母猫は子猫を口にくわえて、非常に狭い隙間でさえもかいくぐり、安全に運搬します。
恐れることも心配することもなく、帰依者がすべての重荷を神に委ね、完全に神の意志に全託するならば、神は必ずやすべてを与えるでしょう。
この道の証人はラクシュマナ人です。
ラーマに奉仕するため、ラクシュマナは丸14年もの間、財産、妻、母、家庭、そして睡眠や食事すらも放棄しました。彼はラーマが自分のすべてであり、幸福であり、喜びであり、必要なものはすべてラーマが与えてくれると信じていました。彼の人生の目的は、ラーマに従い、ラーマに奉仕し、ラーマの意志に全託することだけだったのです。
これが完全な全託の特徴です。この全託(プラパッティ)という修行は、信愛(バクティ)という修行よりもはるかに優れています。
プレーマ ヴァーヒニー 第51節
[参考ブログ]Truth:もし、あなたが神と共にあるなら、他のものはすべて簡単に手に入る???
以上、全託に関する御言葉の一覧をご紹介しました。
今回も最後までご覧いただきありがとうございます。
Tadashi
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